身勝手な隣人や同僚のせいで、いつも損をする。「許せない」という気持ちが抑えられない。いったいどうしたら? 下町和尚として人気の名取芳彦住職は「“怒り”はあっていい、でも“自分の怒りのツボ”を知ろう」と言います。セブン‐イレブン限定書籍『不安の9割は起こらない』より、心穏やかな毎日を手にするマインドセットのコツを特別公開します──。(第3回/全4回)

※本稿は、名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

「裏切ったり、裏切られたり」は人の世の常

半生を振り返ると、私など、親の期待や信頼を裏切り、任せてもらった仕事をしくじるなど、多くのあやまちを重ねながら過ごしてきた60余年であったと言わざるを得ません。

このことは、見方を変えれば、自分でやろうとしたことができていないという点で、自分で「自分を裏切っている」ことにもなります。

こうした不本意な裏切りや、故意の裏切り、あるいはやむを得ない裏切りなど、この世には、「裏切ったり、裏切られたり」が当たり前に存在します。人の世で生きていく限り、避けられないことです。

「当たり前」と思うことは、心穏やかに生きていくうえで、非常に大事なキーワードです。こういうのは当たり前だ、と思うことで、人は傷ついたり落ち込んだりしないで生きていけるのです。

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絆は切れるときには切れるもの

どういうわけか分かりませんが、中には「自分が信頼している人は、決して自分を裏切らない」と、かたくなに思っている人がいます。

どんなことがあっても自分を裏切らない人、そういう「信頼できる人」が欲しくて仕方ないのかもしれません。信頼に足る人物がこの世にきっといるはずだ、という大きなロマンを夢見る人かもしれません。

でも、どんなに強い絆でも、切れるときは切れるのです。人の世から裏切り、裏切られ……はなくなりません。

ですから、自分からはなるべく人を裏切らないようにしたいと願い、同時に、人は何か縁が加われば裏切ることもある、と思い定める。そういう覚悟をしておくこと。そうすれば、今よりずっと強くなれるはずです。