※本稿は、名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
「裏切ったり、裏切られたり」は人の世の常
半生を振り返ると、私など、親の期待や信頼を裏切り、任せてもらった仕事をしくじるなど、多くのあやまちを重ねながら過ごしてきた60余年であったと言わざるを得ません。
このことは、見方を変えれば、自分でやろうとしたことができていないという点で、自分で「自分を裏切っている」ことにもなります。
こうした不本意な裏切りや、故意の裏切り、あるいはやむを得ない裏切りなど、この世には、「裏切ったり、裏切られたり」が当たり前に存在します。人の世で生きていく限り、避けられないことです。
「当たり前」と思うことは、心穏やかに生きていくうえで、非常に大事なキーワードです。こういうのは当たり前だ、と思うことで、人は傷ついたり落ち込んだりしないで生きていけるのです。
絆は切れるときには切れるもの
どういうわけか分かりませんが、中には「自分が信頼している人は、決して自分を裏切らない」と、かたくなに思っている人がいます。
どんなことがあっても自分を裏切らない人、そういう「信頼できる人」が欲しくて仕方ないのかもしれません。信頼に足る人物がこの世にきっといるはずだ、という大きなロマンを夢見る人かもしれません。
でも、どんなに強い絆でも、切れるときは切れるのです。人の世から裏切り、裏切られ……はなくなりません。
ですから、自分からはなるべく人を裏切らないようにしたいと願い、同時に、人は何か縁が加われば裏切ることもある、と思い定める。そういう覚悟をしておくこと。そうすれば、今よりずっと強くなれるはずです。