全員に好かれなくてもいいじゃない

「いい人」と言われて、気分を悪くする人はいないでしょう。私も結婚するまでは、やみくもに「いい人」を演じていたような気がします。その頃の私は、「いい人でないと結婚してもらえない」と思っていたんですね。

当時の私がイメージしていた「いい人」とは、「みんなを楽しませ、喜ばせる人」でした。そして、「いい人」になれば、嫌われることも少なくなるし、したがって他人と衝突すること、トラブルを起こすこともなくなるだろう、と思っていました。

今、「いい人になれば」と言いましたが、よく考えると、この場合は「いい人だとほかの人に思ってもらえれば」というのが正確で、何をするにしても「今の発言はどう思われたのだろう」と気にし、一人になると「みんなにどう思われただろう。嫌われたのではないか」と不安になっていたわけです。

ところが、私の周りにいる「いい人」をよーく観察してみると、その人たちは「人を喜ばせること」よりも、「人の嫌がることをしないこと」に重きを置いている、そういう人ばかりなんだということが分かりました。

これは、いささかショックでした。冗談を連発したり、ユーモラスなパフォーマンスをすることにばかり気を取られていた私。これではとても「いい人」にはなれないと分かったのでした。

美しい女性が草原で深く息を吸い込む
写真=iStock.com/Nicholas Shkoda
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いつも心穏やかでいられる人が「本物のいい人」

同じ頃、仏教が目指しているのは、私がイメージしていたような「いい人」になることではなく、いつでもどんなことがあっても「心穏やかな境地」でいられる人(仏)であることも知りました。

また、私が「いい人」になろうとしていたのは、人に「嫌われたくない」というネガティブな感情の裏返しだったことにも気がつきました。「嫌われない」ことが「好かれる」ことへのいちばんの近道だと思い込んでいたわけです。

人から好かれれば心は穏やかでいられます。逆に嫌われたら心穏やかではいられません。しかし仏教では、いつでも、どんなことがあっても、つまり嫌われている状況でも、「心穏やかな境地」でいることを目指すというのです。