周りの人は3パターンしかいない

そんなことが可能なのか。それは、たとえば会議などで同席したメンバーが、自分のことをどう思っているのかを想像してみれば、すぐに分かると思います。

そのメンバーたちは、私のことをどう思っているか。次の3パターンしかありません。

①好きである。
②嫌いである。
③好きでも嫌いでもない(何とも思っていない)。

つまり、メンバー全員から好かれることはない、ということ。たとえば、地味で控え目なところが好きだという人もいれば、それを消極的な態度と見て敬遠する人もいるでしょう。理路整然と話を進めるタイプに好感を持つ人もいれば、四角四面な感じがして嫌だという人もいるでしょう。もちろん、それらを何とも思っていない人もいます。そんなものです。

ここが納得できれば、たとえ好かれなくても、「まあ、私を嫌う人もいるでしょうよ。それは仕方ないよなあ」ということで、心穏やかでいられるのです。

相変わらず「いい人」になろうとしている人は、それは他人の目を気にしているだけであって、「みんなに好かれるのはあり得ない」ということに気がついていただきたいと思います。

「いい人」をやめればうまくいく

お面をずっとつけていると息苦しくなる。これは、どんな小さな子どもでも分かっている事実です。ですから、お面、大人っぽく言えば「仮面」ですが、仮面をかぶり続けていると生き方そのものが辛くなるのは当然のこと。

周りを見渡してみると、「いい人」「いい子」「いい親」「いい妻」「いい上司」などなど、相手や他人からこうあってほしいと思われる「期待される人物像」に合わせて行動している人がいますよね。

こうした行動は、人の好みに合わせる、あるいは期待に応えることを自分の使命のように感じてやっているのかもしれません。

しかし、「期待される人物像」などというものは、作られた偶像でしかなく、いわば「仮面」をかぶっているようなものなのです。本来の自分の顔ではないのですから、そのうちに辛くなるのは当たり前です。

世間で言うところの「いい人」「いい子」などは、まったくあてになりません。人なり、時代によって、その「いい」という基準、価値観はころころ変わるのです。

それに振り回されてあれもこれもと追いかけていたら、そのうちのひとつも実現できない結果になるのがオチ。結局、中途半端な人物像をあれこれ演じているだけ、ということになりかねません。

もっともつまらないのは、あれこれ演じているうちにわけが分からなくなって、本来自分が持っている「良さ」まで失ってしまい、疲れ果てた無気力な人間になってしまう、という結末。

だいたい、家で「いい子」、会社で「いい部下」、家庭で「いい夫」とか、さまざまな人物像を普通の人間が演じるのは無理。不可能。無理、不可能なことをやろうとするから疲れるのですよ。