「みんなに好かれたい」のが人間だが…

人間は「みんなから好かれたい」と思う動物のようです。たとえば赤ちゃんは、笑うことで大人に好意を持ってもらい、自分に危害が及ばないようにしているのだと聞いたことがあります。「笑顔に向ける刃なし」という名言もありますよね。

もう少し大きくなって、幼稚園の頃のエピソードにこんなものがあります。幼稚園でままごとをすると、パパやママの役よりも、犬や猫、つまりペットの役になりたがる子が多いとか。ペットならば、無条件にみんなから可愛がられるからなんだそうです。

なんだかなあ、というエピソードですが、やはり現実は、ペットでも誰にも好かれるというわけにはいきません。噛まれる恐怖感を持っている人もいれば、毛がつくのがイヤだと毛嫌いする人もいます。

人間についてもその通りで、生きている限り、私を好きな人もいれば、どうしても嫌いだという人もいると思います。もちろん、好きも嫌いもない、何とも思ってないという人もいるでしょう。

あなたを嫌う人はあなたの良さに気づくセンスがないだけ

はっきり言って、誰からも好かれるということは、まずあり得ない。ただ、それでも好かれたい、という人はいます。

気持ちは分かります。でも、好かれることにだけ神経を使っていると、本来の自分の姿を忘れて、「好かれる自分」を演じ続けることになり、結局くたくたに疲れ果ててしまいます。

とくにこの「好かれたい」が「嫌われたくない」気持ちの裏返しの表現である場合、症状はかなり重いといっていいでしょう。

実は、好かれたいという思いから始まって、好かれなくても嫌われなければいいという段階、さらに、嫌われてもかまわないと思えるようになるところまでの過程は、「他者からの評価に左右されないようになる自己肯定」の過程とシンクロしています。

仏教では、自分が仏さまと変わらぬ性質を持っていると気づいて、自己を大肯定せよ、と説きます。

ですから、もし嫌われたとしても気にしなくていいんです。あなたを嫌った人は、あなたを全否定できるだけの材料を持っていません。あなたの良さに気づくセンスがないだけなんです。