※本稿は、ランドルフ・M・ネシー『なぜ心はこんなに脆いのか』(草思社)の一部を再編集したものです。
気分の変化が役に立つのはいつ、どのような状況なのか
うつ病に関する混乱の多くは、ものごとにはそれぞれ特定の機能があるはずだと考えがちな私たちの傾向からきている。私たちが作るモノ、例えば槍や籠などは、特定の機能をもっている。
同じく、目や親指などの体の一部にも、特定の機能がある。そのため、「落ち込んだ気分の機能は何か?」という問いも、ごく自然なもののように思える。しかしながら、情動について考える場合には、これは適切な問いではない。より良い問いは、こうだ。「落ち込んだ気分と高揚した気分は、どのような状況において選択的優位性をもたらすのか?」だが、気分の役割に関してこれまでに唱えられてきた説のほとんどは、機能の解明という枠組みの中で語られることが多い。
ここではまず、そのような説の紹介から始めてみよう。
まず、気分の変化は、極端なものであってもなくても、基本的に何の役にも立たない、と仮定してみる。つまり気分の移り変わりは単なる誤作動であり、てんかんの発作と同じく、有用性はほとんどない、という考え方だ。だが、この説が間違っていると考えるのに妥当な理由がある。
てんかんや腫瘍など体の不具合によって生じる症候群は、一部の人にしか起きない。一方で、気分の変化は、ほぼすべての人が経験することだ。私たちには、自分の周りで起きる出来事に応じて気分を上げたり下げたりするシステムが備わっている。このような調節システムが形づくられるのは、何かの役に立つ反応についてだけだ。痛みや、熱、嘔吐、不安、落ち込んだ気分は、そのような反応が必要とされているときにスイッチが入るのだ。
とはいえ、だからといってこうした反応が毎回役に立つというわけではなく、誤報があるのも正常の範疇だ。だがここで重要なのは、気分の調節システムを理解するためには、そのような反応が役に立つのはいつ、どのような状況なのかを見極める必要がある、ということだ。