失敗を許さない肥大化したプライド

二つめの理由が、東大生は失敗して人から批判されることを極度に恐れるということだ。

東大生は幼いころから地域一番の神童として注目され、まわりからずっと「○○ちゃんはすごいね」「頭がいいね」「なんでもできるね」とほめられてきた。

それはプレッシャーではあったが、長年その期待に応え続けているうちに、プライドが少しずつ肥大してきた。

ゆえに、なにごとにおいても失敗はできない。長い年月をかけて育んだ自尊心が、それを許さない。

「なんでもできて当たり前」の人間は、新たな挑戦をするときも、はじめから完璧に成功を収めなければならないのだ。

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しかし、そんな考えでいれば、前例のない課題に取り組もうというときも、どうしても失敗のリスクに行動が縛られてしまい、「失敗するくらいなら、最初からやらない方がいい」ということになってしまう。

彼らが持ち前の高い情報処理能力で「できない理由」を目ざとく発見したら、そこでその課題へのチャレンジは終了だ。

つまり、受験勉強が得意な彼らが受験勉強では学べなかったこと、それが、正解のない課題に挑む「チャレンジ精神」なのだ。

コンプレックスを刺激されて人知れず傷ついている

ちなみに、先に書いた天才型は、この「できない理由」を、並外れた才能で克服してしまう。

また、この後に説明する3番目のタイプには、「リスク分析の精度の甘さ」から、見切り発車で、自覚なく難題に挑むことができるものがいる。

とまぁ、ネガティブな面について多く書いたが、基本的に秀才型は真面目で努力家であり、並の人よりは優秀だ。

真面目なぶん、行動に理がない(ように見える)デタラメな人たちに振り回されたり、真に才能のある人たちに対してコンプレックスを感じたりと、なにかと気苦労が多いのもこのタイプの特徴である。

優秀なので自分の弱点もしっかりと自覚していて、なんとかしたいと常々思ってはいるのだ。

そして、「東大卒はプライドが高く仕事で使えない」「東大は自然科学分野でのノーベル賞受賞者が京大よりも少ない」「挫折に弱い東大生」「東大卒の経営者が日本をダメにした」……などといった週刊誌の記事の見出しを電車の中づり広告などで目にするたび、コンプレックスを刺激されて人知れず傷ついている。