「見なくていいものまで見える」というつらさがある

夫の嘉規さんも「女房は『満足した』と言っていましたよ」と明かす。

「僕の母親、女房にとっての義母の7回忌ができた、それに孫の入学式も見られた。息子二人と嫁にも介護してもらって、幸せやったと思います」

葬式で号泣した徹治さんだが、6年経った今も当時を思い出すと涙が出るという。この取材にも時折声を詰まらせながら、言葉を選んで話してくれた。

「振り返ると、母が死に向かうのを受け入れられない自分がいつもいました。信じられない、信じたくない。でも在宅では四六時中、見ているので弱っていく姿が見える。見なくていいものまで見えてしまうというつらさがありました」

2カ月という“短期間”だからこそ、疲弊せずにできた面もあったかもしれない。

「母が在宅を希望し、それをやりきった感はあります。また家族だけではこうはいかなかったと思います。訪問看護師の小畑さんの存在は母だけでなく、家族にとっても重要でした」

「母が生きていたら喜んでくれただろうなって思う」

余談だが、徹治さんは母親の死後、看護師の小畑さんが引き合わせてくれた女性と2018年、結婚した。現在は実家を出て、二人で結婚生活を送る。

「私が訪問看護に通う時に厚子さんに『心残りはありますか?』とたずねると、『てっちゃん(徹治さん)の結婚』と言っていて。知り合いの医療事務をしていた方を紹介しました。そうしたらその方は、偶然にも徹治さんの同級生で。厚子さんもご存じの人だったみたいで、私が紹介すると言った時、厚子さんは目を輝かせてニコニコだったんです」(小畑さん)

筆者撮影
柿谷徹治さん夫妻。厚子さんのことを振り返ると自然に笑顔となる。

「だから母が生きていたら喜んでくれただろうなって思う」と、徹治さんは言う。その顔に悲しみはあるが後悔や寂しさはなさそうだ。

柿谷さんの新居にあるコンパクトな仏壇。(筆者撮影)

実は、柿谷家には厚子さんが亡くなった翌年にも取材したが、この記事を書くにあたって4年ぶりに話をうかがった。最初の取材では厚子さんが亡くなったご実家を訪ねたのだが、まだ一周忌を迎えておらず、家全体が重苦しい雰囲気に包まれていたと思う。4年後の今は、結婚後の新居にお邪魔した。「こんなコンパクトな母の仏壇を買ったんですよ」と私に見せてくれた。遺影を見つめる徹治さんの表情は柔らかい。

柿谷家の在宅看取りは、本人の希望で病院から自宅へスムーズに移り、心ある訪問看護師と出会って、安らかな最期を迎えられた成功例だと思う。

誰もがこんなに良いサポート者に出会えるわけでもなく、また看護する時間とパワーのない家族もいるだろう。それでも母親が大好きで、最期は涙が止まらなかった徹治さんの今の笑顔を見るたび、家で死ぬのも悪くない、と思えるのだった。