現在、日本では8割の人が病院で最期を迎える。「家で死ぬ」とは一体どんなものなのか。柿谷厚子さん(享年70)は抗がん剤治療が効かなくなった時、家で過ごすことを希望し、2カ月後に家族に見守られながら自宅で亡くなった。厚子さんの死を家族はどう受け入れたのか。また、本人は自宅に戻れても、同居できない家族はどうすればいいのか――。(第2回)

「悲しいのではなく、もう話せないことが寂しい」

2016年10月2日午前1時すぎ、がんを患っていた柿谷厚子さんは自宅で亡くなった。穏やかな死に顔だった。

訪問看護師の小畑雅子さん
訪問看護師の小畑雅子さん(筆者撮影)

亡くなってすぐ、次男の徹治さんが訪問看護師の小畑雅子さんに電話で知らせると、小畑さんは30分程度で柿谷家まで駆けつけてくれた。

訪問看護は24時間態勢であるのが通常で、看取り以外でも深夜に“呼び出し”がかかることが少なくない。きつくないのだろうか。

「もちろんきついこともあります」と、小畑さん。

「でも、お看取りの場合は患者さんの様子をみながら、だいたい今日あたりかなと察知しているので、体も心もスタンバイOKで。車に乗って走り出すと、仕事スイッチがオンになっています。ご遺体と直面した時? 寂しいです。悲しいのではなく、もう話せないことが寂しいですね。ご家族ほどではないですが、病になってからの時間を共有していますから。それが思い出されて涙がこぼれます」

体はやせ細っていたが、「床ずれ」は皆無だった

小畑さんは厚子さんの体をきれいに拭き、事前に本人と決めていた着物をきせていく。徹治さんも手伝うと、母親のやせ細った体が目に入った。

「母親といえども女性ですから、裸になるようなことは兄嫁に任せていたんですね。ですから亡くなって母の裸を見て、こんなに痩せていたんだと改めて悲しくなりました」(徹治さん)

その時、小畑さんは、厚子さんの体に褥瘡が一つもできていないことに気づいた。褥瘡とは、寝たきりなどによって体重で圧迫されている場所の血流が滞り、皮膚の一部が赤味をおびたり、ただれたりすることで、「床ずれ」ともいわれる。小畑さんは徹治さんに向かってこう言った。

「2カ月間寝たきりだったのに、褥瘡がない。これはご家族がしっかりケアしたという結果ですよ」

家族は日常的な世話をし、精神的なサポートはできる。でも治療はできず、具体的に何かをしてあげられているわけではない、という思いがあった徹治さんは、この一言で“救われた気持ち”になったそうだ。

「家で看取れてよかった。父親がいて、休職した僕がいて、兄夫婦も子供もよそに家がありましたが、亡くなる直前は実家に寝泊まりして……母は寂しくなかったと思うんです」