「記憶が飛んでいる」というほど大変な日々

母(小平鈴子さん)のお葬式。祭壇は母が好きだった紫色の花で飾った。知賀子さんは「一生懸命人に尽くして生きてきた母の最期をしっかり送りたいと思いました」と話す。
母(鈴子さん)のお葬式。祭壇は母が好きだった紫色の花で飾った。

続いて看護の分担は、3人でシフトを組んだ。仕事が多忙な長男夫婦は週末、自営業の知賀子さんが週3~4日、パート勤務や子供の世話がある長女が残りの担当。しかし知賀子さんは、母の不安を感じとったことと、また長男嫁の負担を軽減したいという思いから、シフト以外の日もしばしば母のもとを訪れたという。

そのため、ここから3月10日に母が亡くなるまでのおよそ1か月半、知賀子さんは「記憶が飛んでいる」というほど大変な日々だった。

「24時間いつでもお電話ください、いつでも来ます」と言っていた訪問医が夜間に来ることは一度もなく、訪問医と一緒にやってきた看護師も医師のそばに立って見ているだけ。母もそれをひどく嫌がる。

「別に契約をしていた訪問看護師の方が一番寄り添ってくれた」と知賀子さんは言う。

緩和ケアを家族に丸投げされ、母も苦しんでいた

長男や長女の看護に対する考えに違いがあり、身内の気持ちがうまく一つにまとまらない。加えて母本人に病名、病状は知らされない。もちろん本人も嫌がる病院に戻ることはできないし、いつ亡くなるかわからない白血病患者を受け入れてくれる病院もない。

「訪問医と看護師の言うことも違っていたりして、もう誰を信じていいのかもわかりませんでした。緩和ケアを家族に丸投げされ、母は苦しんで、体も心も変わっていく。何もできない自分が情けなく、途方にくれる日々でした」

手探りの中で、知賀子さんはこれまで育ててくれた母に対する「恩返し」のつもりで、母の“在宅ケア“をがんばった。最後の1カ月は驚くほど母とふれあったという——。(続く。第3回は9月24日11時公開予定)

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