訪問医も、訪問看護師も、同居家族も頼りにならない
都内在住の小平知賀子さんは日に日に衰えていく母を、胸を痛めながら見守っていた。ほぼ毎日のように実家に通って身の回りのケアを行ったという。
「お風呂で体を流すたびに背中が小さく、足の筋肉は衰えて細くなっていました。白血病のため、内出血した大きなアザがところどころあって、痛々しかったです」(知賀子さん、以下同)
訪問医も訪問看護師も頼りにならない、母と同居している長男夫婦もよほど助けを求めなければこちらに手を貸さない。そんな中、知賀子さんは鳥取でホスピスケアを行う徳永進医師が著した『わたしだって看取れる』(KKベストセラーズ)を手元に置き、自身を励ましていた。「この本の通りに母の病状が進んでいった」という。
痛みを緩和するため、少量のモルヒネを処方してもらっていたが、死の1カ月前から時折、せん妄(認知機能の障害)が起こった。
「お母さん、お母さん」「お兄ちゃん」「あなた、あなた」
眠りながら、すでに亡くなっている人たちを大きな声で呼び、母本人はドタンバタンと動いている。
かと思えば、急に意識が戻って「なんだかすっごく眠れるんだよね」と、知賀子さんに話しかける。
「体温は正常なのに、体が氷のように感じられた」
亡くなる10日前のこと。知賀子さんがいつものように部屋をたずねると、母がうっすら目を開けて、「知賀か」と問うた。「そうだよ」と答えると、「お母さん、がんばったけどもう無理だ」と応えたという。
知賀子さんはそんな母に「頑張れ」とは言えず、「大丈夫よ」と繰り返す。
さらに死の6日前、母がしみじみお礼を言った。
「人間、誰もが死ぬ。お前には本当に世話になったなぁ。あの世に行ったらきっちりお返しをするからね」
病名も余命も知らない母が死を受け入れている、と知賀子さんは感じた。
そしてその翌日から母の意識は低下し、普通に会話をすることが難しくなったという。
当時のことを思い出しながら知賀子さんが涙をぬぐう。
「亡くなる一週間前から、母の体がどんどん冷たくなっていくんです。手でさすってもちっとも温かくならない。布団の上に湯たんぽを入れて温めようとすると顔だけが火照ってしまう。体温は正常なのに、日を追うごとに体が氷のように感じられて……生きている人の体温じゃなかった」