椰子の実は「世界で一番おいしい清涼飲料水」

「7月30日の前夜、コン・ティキ号のまわりに奇妙な変化があった。たぶんそれはなにか新しいことがおこりつつあることを示す頭上の海鳥の耳をろうする叫び声だったのだろう。様々な鳥の叫び声は(この3カ月間)生命のない綱の死んだギーギーいう音の後ではあまりにも熱狂的であまりにも地上的だった」

椎名誠『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)

ヘイエルダールの日誌は感動的に続く。

「6時にヘルマンがギーギーきしりながら揺れている帆柱を登ったとき、夜があけはじめていた。10分後に彼はまた縄梯子を下りてきてわたしの足をゆすった。
『おもてへ出てあなたの島を見るんだ!』」

それは必ずしもペルーを出るときコン・ティキ号が目標とした島そのものではなかったけれど、その群島の一部に違いなかった。

そこに上陸しようという目論見にみんな活気づいたが、動力を持たない筏には頑健に島をとりまいている珊瑚礁ほど危険な障壁はない。しかもそこは無人島らしく島からの援助は得られない。死をかけたこのすさまじい奮闘の顚末はもはや同書を読んでもらうしか語る能力もスペースもない。

結末近い状況での描写を紹介して、この素晴しい実験漂流記の紹介をしめくくりたい。

「ああ、航海は終わったのだ。我々はみんな生きていた。我々は人の住まぬ南海の小さな島にのりあげたのだ。なんと素晴らしい島だろう。(中略)あおむけに倒れて椰子の梢と、うぶ毛のように軽い白い鳥たちを見あげた。いつもじっとしていられないたちのヘルマンが小さな椰子の木によじのぼって、ひとかたまりの椰子の実をもぎ取ってきた。我々はまるで卵でも切るように、その柔らかいてっぺんをナイフで切って、世界で一番おいしい清涼飲料水、種子のない若い椰子の実から出る甘くて冷たいミルクをゴクリゴクリと喉を鳴らして飲み干した」

写真=iStock.com/Moncherie
※写真はイメージです
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