無償で「聖教新聞」の配布にいそしむワケ

よく新宗教の教祖になりたいという人がいる。教祖になれば、偉そうにしていても、いくらでも金が入ってきて、安泰だということだろう。

しかし、教祖の日頃の活動はかなり大変である。常に信者と接していないと、信者からは熱気が失われ、教団から離れていってしまうからである。なかには、入信していた間は熱心に活動していたのに、何かがあって脱会し、今度は教団を批判する側にまわる人間が出てきたりする。

そうなってしまうのも、入信していた間に、教団に多くの金を費やしていたりするからである。大石寺の正本堂の建設には、創価学会の会員から多額の寄附がなされたわけだが、日頃会員たちは、機関紙の「聖教新聞」を何部もとるなど、活動に金をかけている。「聖教新聞」を配るのも会員たちで、「池田先生のお手紙を届ける」ことを使命としているため、無償か低賃金でそれに従事している。

結局は教団を贔屓する信者の片思いである

公明党の候補者に対する投票依頼のための活動にしても、それは無償で行われる。地方で選挙があり、選挙区に住む知り合いのもとに投票依頼に出かけたりする熱心な会員もいるが、旅費は自前である。

島田裕巳『「ひいき」の構造』(幻冬舎新書)

それだけ金を出したのに、最後は教団に裏切られた。そういう思いを抱いた人間たちが、教団に対する批判者になっていく。

いったいそれは誰の責任なのか。その所在を明らかにすることは難しい。本人は教団によって巧妙に騙されたのであり、金を出したのはマインドコントロールのせいだと主張する。しかし、教団の側にどれだけ強制力があるのか、その判断は容易ではない。信者の側が勝手に入れあげ、多額の金を費やしたのだとも言えるからである。

贔屓するということは、基本的に贔屓する側の片思いである。贔屓される側は、それをコントロールすることはできない。贔屓する側は、勝手に自分の願望をふくらませ、それを対象に投影する。そうした願望には果てがなく、どこまでもふくらんでいく。熱狂を経験すれば、その傾向はさらに強くなる。

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