創価学会の二代会長は酒を飲みながら講演をしていた

創価学会の会員が多額の寄附をしたのは、それだけ正本堂が建立されることを望んだからである。創価学会の二代会長である戸田城聖は、1958年に亡くなっており、正本堂が完成した姿を見てはいないが、そこに安置される本尊を幸福を生む機械にたとえた。本尊を拝みさえすれば、幸福が実現されるというのである。大石寺に参拝することは「登山」と呼ばれたが、多くの会員が登山会に参加した。毎年その数は180万人近くにのぼったとされる。

しかし、戸田の述べたことに創価学会の会員たちが納得したのは、戸田が会員たちと直接交わることに熱心だったからである。戸田の立場は教祖と言えるものではない。創価学会の信仰の核にある法華経の信仰を説く指導者であり、おすがりのようなことは一切やっていない。戸田が力を入れたのは信者に講演を行うことだった。

戸田の講演は、その死後、弟子たちによってレコードとして残されている。興味深いのは、戸田は講演を行う際に酒を飲んでいたことである。演台には水の代わりに酒がおかれていたという。

「自分の本はデタラメだ」という率直な物言いがウケた

当然、酒を飲んだ戸田は酔っているわけで、なかには、相当に酒が入っている状態で行われたものもある。そうしたものを弟子たちが残しているのも不思議だが、聴衆は酔った戸田の話に対して盛んに笑い声をあげ、拍手喝采している。今の感覚ではあり得ない状況である。

拍手をする人たち
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たとえば、戸田が『小説人間革命』という本を刊行したときの講演がある。それは、1957年6月の初旬から中旬にかけて行われたものと思われる。その際に戸田は、次のように、びっくりするような発言をしている。

「それで、それは嘘書いてあるんだぞ。本当のこと書いてないんだよ。だけども、僕の精神は書いてある。どういう風に書いたかっていうとね、ある印刷屋の職工(巌さん)がおってさ、その職工がね、そいつが、ともかく信仰した経路を書いてみたんだよ。

そして僕が牢へ入った時の事をね、そこからは本当なんだよ。牢へ入ったところからは本当なんだよ。その前はデタラメなんだよ。」