「生きるために覚醒剤を使っていた」
「私は関東の生まれです。学生時代は、家庭内でストレスをため、対人関係も苦手だったから、居場所というものがどこにも無かった。ですから、16歳でシンナーに走り、21歳の頃にイラン人と出会ってからは、「冷やし仲間(覚醒剤乱用者の仲間)」に入り、覚醒剤を使用するようになりました。
薬物乱用の理由は、先のことが見えない絶望感を日々感じていたからだと思います。だから、クスリは逃避のための道具なんです。「シラフで居たくない」という現実逃避的な理由ですね。
不安、罪悪感、自己嫌悪――誰にも分かってもらえない、相談できないという苦しみに加え、先のことをいくら考えてもポジティブになれない。投げやりな気持ちになりますから、大学も中退し、バイトも続かない。何をやっても負の連鎖が生じるわけです。
だから、自殺も企図しましたし、精神科病院には6回も入院しています(カギを掛けられて出られない保護房には、2回入りました)。自殺は、家族が気づいたからこそ未遂に終わりましたが、そうでなかったら死んでいました。
人間はそう簡単には死ねません。私の場合には、「生きるために」覚醒剤を使っていました。
ダルクとの出会いは、24歳の頃です。親の紹介で東京ダルクにつながりました。最初は、プログラムに参加しても、「自分には関係ない」と思いナナメに見ていました。しかし、覚醒剤は自分では止められません。ですから意を決し、翌年、故郷を離れて、沖縄ダルクに入寮しました」
内面の話ができるダルクのプログラム
「ダルクでは、プログラム(ピアメンタリング・プログラム)があります。これは、その日のテーマ――例えば、「自分が傷つけた人について語る」など決めて毎日行います。これを重ねるうちに、私は気づきを得ました。
非行少年が非行に走る理由と同じように、薬物依存症の方は、薬物を用いることでさまざまなつらい事や生い立ちのキズをごまかしているのではないでしょうか。私も、家庭に不満を持っていましたし、自分の周りに居場所が無いということが、薬物に走る一因でした。
しかし、どんなに非行行為をしても20代になると飽きてくるものです。そうすると、何か胸の内にある、自分を非行や薬物に駆り立てていたモヤモヤに気づくことになるのです。
プログラムは、簡単にいうと、このモヤモヤを吐き出し、自分の内側を浄化するための『場』なのです。私は、モヤモヤを吐き出していくうちに、次第に『自分は物事を深刻に考え過ぎて生きているのがキツイのでは』と気づかされました」