会話は「今日はどんな宿題が出たの?」から始まる
だから僕は「あなたの課題は、数学の中の理論的な部分ではなく、計算の練習です。足し算、引き算、掛け算、割り算、分数の計算を徹底的に2週間くらい練習すれば数学も得意になりますよ」と話します。
多くの人は「数学が苦手」というように問題をざっくりととらえすぎています。本当の課題がわかっていないので、頑張れません。
「本を読むのが苦手」というのもそうです。「本」と言ってもいろいろありますよね。
小説を読むのは苦手だけど、実用書は読めるとか図鑑は好きという場合もあります。
文章を追うのに必死でイメージするのが苦手な場合、絵本を読んでみたり、読み聞かせをしてもらうことで得意になることもあります。こんなふうに、少し細かく見ていけば、どこが苦手なのかわかるはずです。
ですから課題がわからないまま、とりあえず「勉強しなさい」ではなく、課題を見つけて「この計算、練習してみない?」「絵本を読んでみない?」というように具体的な提案をしてみましょう。
宿題であれば、「今日はどんな宿題が出たの?」と聞くところからです。本人もあまりよくわかっていないことが多いので、「今日はどこをやったの?」とか「宿題のページ見せてよ」と言って、最初の2~3分で課題の確認をします。
宿題、勉強に限らず、「本人が課題に気づいていること」が成長に欠かせません。
親や周りの大人ができることは、そのための質問を投げかけること。課題が具体的になったら、その子に合った提案をすることです。
「宿題くらいやりなさい」といっても宿題はしてくれない
「宿題くらいやりなさい」「学校くらい行きなさい」という声かけもありがちですが、これは明らかにうまくいきません。
なぜかというと、「宿題くらい」という言い方には、そもそも「宿題」に価値を置いていないことが表れているからです。宿題をやったところでたいした価値はないけれど、そのくらいやっておけよと言っているのです。
「これはクソゲー(つまらないゲーム、時間をむだにするようなゲーム)だけどやれ」と言われているようなもの。やっても価値のないことをやれと言われて、誰がやる気になるでしょうか?
それに、この言い方は典型的なマウンティングでもあって、自分を優位にしています。「学校ぐらい行きなさい」の言葉のウラには、「私はとっくに学校は卒業したけどね! 私はもっとずっと高度なことやっているけどね!」というのが見えるのです。
そして、「お前はダメだ」と伝えているのです。