声をかけられ、息を止めて浴室をのぞいた
これまでそんな心配をされたことがなかったので、私もさすがに不安になり、すでに付けていた高機能不織布フィルター使用のマスクの上に、さらにその防臭マスクを装着した。少し息が苦しい。そして今回は作業着の上に、頭まですっぽり入る防護服を身に付ける。露出している部分は“目のみ”だ。
室内に入ると、玄関、左に折れて廊下があり、左右に1部屋ずつ、奥に見晴らしのいいリビングとカウンターキッチンが見える。その手前に脱衣室と浴室があった。
「中を見てみますか?」
大島さんに声をかけられ、息を止めて浴室をのぞいた。浴槽の下、手前のフチ、頭をのせていたであろう側面にべったりと便のような茶色いシミが広がる。頭をのせていた箇所には髪の毛がしっかり残っていた。血液らしいどす黒い赤もところどころにある。脱衣所にも遺体を運ぶ時についたであろう茶色のシミが残る。
脱衣所と浴室の掃除と物の撤去――それが今日の仕事である。
「笹井さんも、いろいろなきつい現場を作業してきただろうけど、実際の髪の毛や体液、皮膚が残っていた現場はないでしょう」
大島さんの言葉に、私はうなずいた。
風呂場の急死は「ヒートショック」より「熱中症」だった
実は別の意味で驚きもあった。私は昨年12月と今年2月に、「週刊新潮」で特集記事「風呂場の急死はヒートショックではなかった」を発表した。これまで入浴中の事故死はヒートショック、つまり入浴にまつわる急激な温度変化によって血圧の乱高下を招き、心筋梗塞や脳卒中が引き起こされると考えられてきた。
しかし東京歯科大学市川総合病院教授で救急科部長の鈴木昌医師らの調査から、別の原因であることがわかったのだ。それは「浴槽内での熱中症」の発症である。
熱中症によって意識障害や脱力感が起こり、浴槽から外に出られなくなるとさらに体温が上がり、そのまま誰も助けてくれなければ最後には湯の中に沈んで死に至る。鈴木医師らの調査からそれが明らかになったのだ。