「急場」に対応できなかった
【海野】しかし、2017年頃に、いくつもの無痛分娩事故の報道が出てきた。母体救命を強化したのに、「そんなに事件が起きているのか?」と、私たちも驚いたんです。実際に調べると、2008年から2017年に8例、無痛分娩が関わる事故報道がありました。さらに細かく見ると、麻酔に関係のある事例は4例です。どれも麻酔が強くかかり過ぎてしまう全脊椎麻酔や局所麻酔薬中毒という硬膜外麻酔に関係した合併症で、場所は小規模の分娩施設でした。
無痛分娩の硬膜外麻酔が重大な状態になる合併症は、非常に稀ですが、発生します。ですが麻酔は、時間がたてば必ず覚めるものです。気管挿管をして人工呼吸器を用いることで呼吸を確保し、適切な蘇生措置をしていれば、時間が経てば元に戻ります。取り返しのつかない事態にはならないはずなのです。
それなのに実際、無痛分娩で起きた事故では、死亡や寝たきりの状態になっている。これはどういうことだったのか。医者側としては、非常に稀でも合併症が起きるかもしれないなら、それに対応できる体制にしておかなくてはなりません。麻酔事故のあった施設の先生方も、何が起こりうるか、そのときどうすればいいかは分かっていたはずです。でも急場でそれができていなかった、できる体制ではなかったことが考えられます。
ならば、急場で対応できる仕組みを作らなくてはいけない。そこで2017年、当時、日本産科麻酔学会の理事長だった私に厚労省から依頼が来て、特別研究班による「無痛分娩の実態把握及び安全管理体制の構築についての研究」を行うことになりました。
無痛分娩の安全性を高めるための取り組み
【海野】2017年に厚労省の特別研究班が作られて、8カ月間(2017年8月~2018年3月)で、無痛分娩の安全性を向上させるための提言をまとめました。その際、日本産婦人科医会が、無痛分娩の実施率を調べたところ、6.1%という数字が出た。「6.1%も!」と驚きましたね。その数年前の調査では実施率は3.5%で、無痛分娩はやはりマイナーなのだと認識していたんです。この数年の間にも無痛分娩は明らかに増えているようです。今では実施率は、10%くらいになっているのではないかと思います。
そして2018年8月、研究班の提言(「無痛分娩の安全な提供体制に関する提言」)を元に、「無痛分娩関係学会・団体連絡協議会」、通称JALA(ジャラ)が立ち上がりました。医療者向けと一般向けにそれぞれウェブサイトを作り、活動の拠点としています。医療者向けに行っているのは、無痛分娩施設の情報公開の推進、安全性を高めるための4種類の講習会受講の促進と無痛分娩に関連した有害事象の収集、分析、再発防止策検討という事業です。講習会は2019年から始めており、2020年から大々的に展開したかったのですが、新型コロナの影響で開催が難しくなり、今年eラーニングを立ち上げました。
一般向けには、無痛分娩に関する情報公開を行っている施設の全国検索マップを作っています。現在140施設が掲載されていますが、日本全体で無痛分娩をしているところはおそらく600施設はあるので、まだ十分ではありません。が、まずはきっちり情報公開をしている施設を、皆さんに認知してもらう。そして施設側にも参加を促す。施設と情報が揃ったところで、安全性の向上のための活動をさらに進めていきたいと考えています。
このような取り組みが始まるまでは無痛分娩に関して、こういった情報公開の仕組みはなく、日本国内での安全基準も示されてきませんでした。世界的な基準はあるのですが、日本ではとてもマイナーだったので、国内の基準を学会でまとめる段階にすらなかったんです。