無痛分娩が普及しなかった理由は「お産の歴史」にある

【海野】その状況が変わってきたのは2000年代に入ってからで、それまで産科医が主に行ってきた産科麻酔に、麻酔科の先生が興味を示すようになりました。若手の麻酔科の先生方の中には、欧米に留学して産科麻酔を勉強してくる方も出てきます。

最初に2000年に埼玉医科大学総合医療センターに麻酔科医が無痛分娩を担当する産科麻酔部門ができました。そして2003年に、東京に周産期医療に力を入れた国立成育医療センターができました。こうした施設では、産科麻酔科医による無痛分娩を積極的に提供するようになりました。北里大学病院でも産科麻酔部門を独立させる動きができ、2010年に産科麻酔科を作っています。そしてここ10年で、順天堂医院、昭和大学病院、名古屋市立大学病院と、麻酔科医が無痛分娩を専門にやるところが増えてきています。

今の日本の産科麻酔科は、もともと日本でハイリスク分娩を担当してきた、大学病院や総合医療センターが中心です。救命救急体制をいつでも取れる体制があり、麻酔科医が配置されている、そういう施設のうちで無痛分娩に熱心な麻酔科の先生がいるところということになります。ですがそのような大規模施設は、全国的に見て数は多くありません。

このように戦後からの経緯を見ていくと、日本で無痛分娩が普及しなかった理由は、「お産の歴史がそうさせなかった」と言えます。80年代から無痛分娩をしていた私たちはもっと推進したかったのですが、お産をする人たちの大多数はそう考えていなかった、ということです。

2010年代までに整えられた周産期医療体制

【髙崎】そんな「マイナーな無痛分娩」も今では報道で大きく取り上げられることが増えています。事故の報道もありました。

【海野】2017年に、大阪・兵庫・京都で無痛分娩の事故がたくさん報道されて、社会問題になりましたね。お産に関する事故報道という点では、その前の2000年代に、日本ではいくつか分娩中に大きな事件が起こってしまったことがありました。無痛分娩の事故について理解していただくには、そこからお話しする必要があります。

2004年の福島県大野病院、2006年の奈良県大淀病院、2008年の東京都墨東病院などですが、それぞれのケースの原因は癒着胎盤や脳出血などでした。全国の周産期医療のシステムは90年代から整備され、赤ちゃんの死亡率は改善されていましたが、これらの事故報道をきっかけに母体救命をさらに強化する必要性が認識されました。

周産期センターと救命救急センターは、必ず連携する。産科診療所は、ローリスクの妊婦さんのお産をしてもらう。そして妊婦や胎児にハイリスク要因があったら、手早く周産期センターに送って医療介入する。その形で2010年代、現代日本の周産期医療体制が成り立ってきました。