無痛分娩が知られていないから、希望者も少なかった
【海野】時代が進むにつれ、戦後養成の病院勤めの助産師たちには、疑問が出てくるようになります。「自分たちは助産師なのに、医師の言う通りのお産しかできていないのではないか?」「お産の現場から助産師の自律性が失われている」と、自分たちの仕事を再検討したんです。そこから助産師たちは、母乳育児のための乳房ケアや、ラマーズ法を用いた医療介入のない自然分娩に力を入れるようになります。
妊婦にとっては、そうやって一生懸命にやってくれる助産師たちに不満はありません。医師にとっても、耐え難いお産の痛みを妊婦さんたちが笑顔で乗り越えてくれるのは、素晴らしいこと。諸外国では無痛分娩が普及していましたが、当時の日本の妊婦さんたちには広く知られていないので、希望も多く出てこない。
こうして1990年~2000年代の日本では、麻酔のない自然分娩がメインストリームになりました。
普及しなかった「管理分娩」
【髙崎】日本社会では欧米に比べ、自然分娩志向がとても強いと感じていました。それはお産の現場で推進されていたからだったんですね。
【海野】その間の日本でも、無痛分娩はありました。たとえば私が1980年代初頭に勤めた東京都立築地産院(※編注:1999年に東京都立墨東病院に統合)は、正常分娩でも硬膜外麻酔で無痛分娩を行っていた大型施設です。「お産は完全ではない。自然のままでは危ない局面になりそうなリスクを抱えている人は、むしろ医療介入をした方がいいのではないか?」と、「管理分娩」の考え方を取っていました。
胎児心拍モニターを取り、無痛分娩の麻酔をし、陣痛を誘発して……と、医療介入をし始めると、副作用への対応もあるので、自然からはどんどん離れていきます。ですが当時のお産は自然分娩が主流だったので、このような管理分娩は普及しなかった。今私がいる北里大学病院では、1970年の新設時から無痛分娩をやっていますが、当時では珍しい施設でした。それ以外にも、産科診療所の先生で熱心な先生が無痛分娩を取り扱っていましたが、絶対数は限られていました。
この頃は、主に産婦人科医が無痛分娩を行っていたわけです。
大多数の分娩施設では、もし妊婦さんが無痛分娩の希望を伝えても、「うちではやっていません」で終わっていた。強く希望する人は、築地産院や北里のような限られた施設に遠くからやってくる。それが、2000年前頃までの状態です。だから我々には、「無痛分娩はマイナー」という認識がありました。しかし、妊婦さんの中には無痛分娩を希望する潜在的な需要は増えつつあったのだと思います。