旭は五線譜に音符を書くようにもなっている。最初は曲というよりも、音符を使って絵を描いているようなものだった。クレヨンを持って、5本の線を引き、そこに適当に音符を置いていく。そのため希は、旭が作曲をしているとは考えていない。子どもがよくやるお絵かきを、たまたま五線譜や音符を使ってやっていると思っていた。

そして、04年3月26日の昼、希が旭の五線譜ノートをぱらぱらとめくっているときだった。希ははっと、何かに気付かされたような感覚にとらわれた。

「この子、意識して作曲しているのかも」

実際に弾いてみたら…

旭は4歳5カ月。希は「まさか」と思う一方、ひょっとしたらという気持ちもあり、ゆっくりと音符を読んだ。曲には「あめあめふったふった」というタイトルが付いていた。すでに旭はひらがなの読み書きができた。それまで希は旭の音符をピアノで弾いてみようと思ったことはなかった。お絵かきしているだけと思っていたので、弾くことはできないと考えていた。でも、この「あめあめふったふった」は音符の並びが整っていた。希は弾いてみようと思った。すると、旭が言った。

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「ファはシャープにしてね」

旭の希望通り「ファ」を半音上げて弾くと、ト長調の曲になった。

──タタタタ・タンタン、タタタタ・タンタン、ターン

雨が降ってきたのを楽しんでいる感じが伝わる曲だった。短くも、可愛いメロディになっている。

「旭が弾いてほしかったのは、今お母さんが弾いたこの曲?」

旭はにこりとしながらうなずいた。希は確信した。

「この子はわかって書いているんや。絵じゃなくて音楽なんや。この子の中に音楽が流れている」

希は旭のノートをめくってみた。2日前に作った曲も整っていた。タイトルは「おかあさんがだいすきおとうさんもだいすき」。恐らく旭が意識して作ったのはこの曲が最初である。

クレヨンで絵を描くように音符を重ねられる

「あめあめふったふった」を作ったのと同じ日、旭は「おうちであそぼう」という曲も作っている。以降、2日後の3月28日に「しゃぼんだまふいた」、翌29日に「ふわふわしゃぼんだま」。翌月になると、「サーカス」「ふしぎなもうふ」「たびをする」「ちょうちょがとんでる」。旭は次々と曲を作っていく。

曲はときにゆったりと流れ、ときにテンポを速めた。暗く寂しい感じの曲も、とびきり明るい曲もあった。身の回りに起こる変化をその都度、音符に変えていった。子どもたちが目に飛び込む景色を、思いのままクレヨンで白紙に描いていくのと同じように、旭は頭に浮かんだことを音符にして書き連ねた。頭の中に流れる音がそのまま旭の右腕から右手に伝わり、五線譜の上で形になっていく。