「殺せよ」「殺したらいいじゃないか」という幻聴

「おれは野球部にいたんですよ。それと暴走族」「そおそお、おれらのちーむよね」とカケルが相槌を打つ。彼は交通事故の後遺症で、言語と歩行に障害がある。キヨシが続ける。

「おれ、しばらく児童養護施設で育ったんですけど。でもまあ、幻覚や幻聴がね。なんかひどくなっちゃって。あ、牧師さん、幽霊って見たことあります? おれはあるよ。部屋にね、青い顔が浮かんでるわけ。で、それが見えだすと、もうどこに行っても顔がついてくる。なんか、ずっとこっちを見てるんだよね」

頷いていたマレが口を挟む

「ぼくは声かな。ずっと話しかけられて。『殺せよ』『殺したらいいじゃないか』って。すごくはっきり聴こえる」

彼らは怪談話に興じているわけではない。わたしを怖がらせようと、わざと大袈裟に話しているのでもなく、ただ淡々と事実を語っている。むしろその口調に、わたしは背筋が凍りつくような恐怖を覚えた。

「なるほど、君は施設から学校に通い、野球部にいて、暴走族もやったと。幻聴や幻覚があるから入院したの?」「ま、それもあるけどね。リストカットね。そうそう、牧師さんに訊きたいんだけど。なんでリストカットしたらいけないの? 腕にね、彫刻刀をぐさっと突き刺す」

キヨシは刺す真似をしてみせる。手つきが慣れている。

「リストカットをするとほっ、とする」と語る少年

「で、あたたかい血が流れてくる。するとね、ほっ、とするんですよ。煙草を一服するのと、そんなに変わらないと思うんだけどなあ。いろんな人から言われたよ?『自分の身体を傷つけるのはよくない』とか『自分を大切にしなさい』とかって。

でも、なんでそれがいけないのかは教えてくれない。煙草を吸うのとなにが違うのかなあ。牧師さん、分かる?」わたしにはなにも答えられなかった。

なにも。聖書には「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(コリントの信徒への手紙一三章一六節、新共同訳)とある。

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わたしは今まで、「自殺はよくない」とか「自分を傷つけてはいけない」とか、「自分を愛そう」などと語ってきた。

しかし彼の一言の前に、すべての言葉が飛んだ。ありのままの自分を愛そう?

この子たちはもうじゅうぶん、自分の「ありのまま」とやらを見せつけられてきたんじゃないか?

この子たちに言うのか、「『あなたには神が宿っている』って聖書には書いてあるよ。だから神が宿るような、貴い自分を傷つけちゃだめだよ」って?

わたしはこのとき気づいた。自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを、このわたし自身ぜんぜん知らないし、信じてもいないと。そんなわたしが、この少年たちになにを偉そうに言えるのかと。