母は声変わりした息子の声を聞いて…

同2015年に目黒区区議に晴れて当選する。

さらに翌年2016年、彼は母親探しを始める。戸籍を確認すると、転居先は隣の品川区にある宗教施設だった。

品川区の出張所に行って開示を請求すると、開示された住所と、そこに紐付いた電話番号がわかった。

施設に電話をかけると、すぐに共通の知り合いが見つかった。その方が幸い仲介をしてくれることとなり、携帯電話番号を託した。そして彼が戸籍を辿り始めてから1週間後、一本の電話がかかってきたのだった。

「知らない電話番号でした。しかし、番号を託していたので、母親からじゃないかと期待して、出ました。数秒間沈黙した後、相手は言いました。『ゆういなの? 今そんな声なんだ』と」

11歳のとき生き別れとなったため、声変わりした後の息子の声を母親は知らなかったのだ。母親はその後言葉を継げなかった。彼は言った。

「お母さんを探し出すのがこんなに遅くなってごめんなさい」と。母親は電話口で泣き出した。泣きながら、「会いたい」と言った。ゆういさんはもちろん快諾した。数日後の週末だった。

21年ぶりの再会

約束の日曜日、彼は妹と二人で、待ち合わせの駅に出向いた。ゆういさんも妹も母親の顔は覚えていない。母親にしても、大人になってからは自分の子どもたちに会っていない。お互い会ってみてわかるのだろうか。

彼の心に不安がよぎったところで、待ち合わせ場所である駅前広場の近くまで来た。すると、まだ100メートルほども離れているのに、手を振られた。それは60歳ぐらいの白いコートを着た女性だった。手を振られた途端、遠目から、母親だとわかった、という。

「母親はいきなり妹に抱きしめて、泣き崩れました。泣き崩れたといっても、親子4人で会ったあの日とは違いました。うれしくて泣いていたんですから」

その後、三人で近くの喫茶店に入った。

「私は母親と時間を埋めるように話をしました。母親は幾度となく家の前に行ったけど、家の中に入れず、結局会うことができなかったこと。突然、家が取り壊されて音信不通になってしまったこと。その後、再婚して二人の子供を産み育てたこと、子供が成人した今はお弁当屋で働いていることを」

母親は言った。

「今日11月29日は何の日かわかるかい」と。

二人が答えられないのを見て、「そうか 覚えていないんだね」とすこし残念そうな顔をして、強調するように言ったという。

「離婚届が受理された日だった。この日を忘れたことはなかったのよ……」と。

翌2016年の結婚式に母親を呼ぶこともできたし、翌年産まれた息子を抱かせることもできた。働いている弁当屋にときどき出かけてその都度顔を合わせている。