中1のとき「新しい母親」ができて…

兄妹が平穏だったと思った生活は長く続かなかった。別居後、一人で切り盛りしていた居酒屋の女性客が自宅に入り浸るようになったのだ。

「『お前らが成人するまでは結婚しない』と話をしていたのに、父親はその女性と再婚を決めたんです。『私が新しい母親よ』って言われても、受け入れることはできませんでした。当時、中1だったんですが、これからどうなっていくんだろうって思いが浮かんできて、勉強しても集中力が続かないんです」

妹は、家が落ち着ける環境でなくなってしまったことも影響してか、保健室登校することも多かったようだ。

そのころも、実の母親からは電話はかかってきていた。しかし父親が出ることはなかった。母親からの電話を継母に受けさせるようになったからだ。

「竹村家の母親は私です。あなたはもう母親じゃないんだから二度かけてこないでください」

継母はそういって遮断した。

そのうち、継母の娘が引っ越してくる。父親は父親で、竹村さんが継母やその娘と仲良くしてくれないことに腹を立てた。竹村さんと妹は、父親や継母、その娘と距離をおき家庭内別居をするようになる。

親子関係がこじれにこじれた竹村さん。大学卒業を機に父親と継母の元を離れた。そのとき、妹を連れて行った。両親の代わりを彼がすることにしたのだ。

家から出て、父親と距離を置いた彼は考え、そして悟った。

「人は簡単には変わらない。だったら、自分の受け止め方を変えて相手の反応が徐々に変わっていくのを期待するしかない。遠回りのようで、それが一番の近道なんじゃないかなって思いました」

決意した彼はつらい気持ちを克服し、その経験をプラスに受け取り、人として成長していく。そして次第に決意を固めていく。

「つらい幼少期をすごした離婚家庭・DV家庭の子を助けるために、将来はスクールカウンセラーになろうって」

転機は別居親の交流会

27歳のとき(2011年)、彼は目黒区議会に無所属で立候補した。つらい子供たちを助けるという思いは政治への思いへと転化していた。

「もしかしたら母親が見てくれているんじゃないかという思いもありました。見ていなかったのか、母親からの連絡はありませんでしたが」

落選だった。しかし、そのことがきっかけで彼の運命は思ってもみなかった方向へ転がっていく。

近い志を持った議員に誘われて議員秘書となった。

その4年後である2015年、議員秘書の立場で、別居親(子供に会えない親たち)の交流会に、その議員に誘われて参加する。その場で彼と妹は、子供の立場ではなく子供に会えなくなっている親たちのつらい生き様を知る。

「二人して『父親と一緒に住む』と言ったことで、母親は泣き崩れました。そのときの母親の姿を急に思い出して、妹と二人で涙を流しました」

今まで記憶にフタをしていた子供に会えなくてつらい思いをしている母親の存在、そして母親のつらい気持ちを、彼と妹がようやく理解した瞬間だった。