事前の「打ち合わせ」通り、母の前で父を選んだ
「あなたこのままだと壊れちゃうわよ。家から一旦離れてみたら?」
見かねた保護者仲間が母親に声をかける。そのことで、母親は初めて、家を出ることを考え始めた。
竹村さんが10歳のとき(1993年11月)、母親は別居を決意する。身を寄せたのはアドバイスをくれた友人が所有する物件だった。
別居後、彼や妹が母親の元を訪れると、母親が健康を回復していくのを確認できたという。一方、父親は父親で居酒屋を一人で切り盛り。家事にも頑張るようになった。
両親の別居生活が1年続いた後である1994年11月。彼(当時11歳)は妹(当時8歳)とともに父親から、圧のある言葉をかけられる。
「母親と離婚することにした。おまえらがどっちに付いていくか決めていいぞ。ただし、母親と暮らすことになれば、学校も転校することになるし、友達とも会えなくなる。今の家にも当然住めない。よく考えて決めな。どっちと暮らしたい?」
「……お父さん」
「じゃあそれを母親の目の前で言ってくれ」
そして1年ぶりに一家4人がそろい、近くのファミレスへ。
事前の打ち合わせ通りの会話が進行していく。
「おまえたちは父親と母親、どっちと暮らしたい?」と父は兄妹に尋ねる。
「……お父さん」
二人はそう答えるしかなかった。
母からの連絡はとことん遮断された
「母親が泣き崩れた姿が今も目に焼き付いています。そして、子どもたちの言葉に観念したのか、父親の言うことに静かに頷くばかりになっていました」
その後、母親は手紙を出してきたり電話をかけてきたりして子供に会いたがった。その都度、電話ごしに夫婦ゲンカに。手紙も読ませてくれなかった。父親は子供たちと母親との縁をとことん遮断し、さらには毎日、母親の悪口を言った。
そんな父親だが、母親に対する悪口を言い続ける一方で、それまでやっていなかった家事を必死で頑張るようになっていた。
「父親なりに、シングルになってダメな親だと思われたくない意地みたいなものがあったんだと思います」