大酒飲みの父親と嫁姑問題
「私と妹が『父親と一緒に住む』と言うと、母親は泣き崩れました。そのときの母親の姿か今も目に焼きついています」
竹村ゆういさん(前目黒区議会議員、37)は言う。それ以来、彼は母親と再会するまでに、21年の月日を要した。なぜそんなに長らく会うことができなかったのか。話をうかがった。
町工場が並ぶ、目黒区でも下町の雰囲気が漂う地域で生まれ育った竹村さん。父親は自宅兼作業場で金属を売り買いする仕事をしていた。母親は専業主婦、3歳下の妹がいた。離れには祖母や叔母が住む木造の別宅があった。
「男は仕事、女は家事育児」という、一昔前は当然とされた家族だった。父親は大酒飲みでヘビースモーカー。普段は優しいが手の出ることもあった。
父親は面倒見のいい人だったが、自分の思った通りのことを周りに求める傾向が強いこともあり、さらには気の短さから人と揉めることも少なくなかった。それは知人・友人に対してだけでなく、家族に対しても同じだった。
「圧のある言葉で追いつめてきます。わざと傷つけるようなことを言ってきたり、怒鳴られたり。異論は許されませんでした」
母親はよりひどい暴言、そして暴力を受けた。ゆういさんたちをかばっていたためだ。そこに嫁姑問題が追い打ちを掛けた。
ついに母の身体が悲鳴を上げる
「『あんたは竹村家の嫁なんだから、うちのやり方にあわせなさい』ときつく言い、母の味方をすることはありませんでした」
母親にとってはつらい状況が続いていた。しかしそれでも彼女は家から出ていくつもりは毛頭なかったし、実際、それでも同居を続けていた。一旦、家を出たら、子供に会えなくなる。そのことがわかっていたからだ。
1990年代後半、金属の売り買いという家業が傾き出すと、父親は居酒屋を始めた。そのことが母をさらに追いつめていく。
「父はなぜか、早々に切り盛りを投げ出し、母親一人に任せきりにしたんです。それまでも、父親の言動、祖母の言葉に追い詰められ、それが積もり積もったことで、母の身体が悲鳴を上げました」
バセドウ病(自己免疫性疾患のひとつ。動悸や息切れ、手足の震え、疲れやすさなどさまざまな全身症状が起こる)に罹るなど、竹村さんの母は体調を大きく崩してしまったのだ。