海坊主呼ばわりされバッシングを受けた岩崎弥太郎

さあ、三菱にとっては、まさに存亡の危機である。そこで弥太郎は、社内外に不偏不党たることを宣言し、政府に対し新会社設立が国家に大きな不利益をもたらすことを訴える意見書を送った。

河合敦『渋沢栄一と岩崎弥太郎 日本の資本主義を築いた両雄の経営哲学』(幻冬舎新書)

その内容は、「日本の海運業界はまだ脆弱なのに、新たに海運会社を起こせば、三菱との間に激しい競争が起こり、決して国家のためにならない。ぜひとも中止していただきたい」というものだった。ところが、である。

この意見書が、自由党系の新聞にすっぱ抜かれてしまったのだ。警察の密偵にリークされたらしい。何とも不思議なことだが、当時、自由党と立憲改進党は、反政府という立場で共闘できるのに、ささいな主義の違いから激しく反目しあっていたのだ。

それゆえ、わざと警察が自由党系の新聞に情報を流したようだ。自由党は、「海坊主退治、偽党撲滅」キャンペーンを展開した。偽党とは立憲改進党、海坊主とは三菱、具体的には岩崎弥太郎のことだ。世論も海運業を独占する三菱に良い感情を抱いておらず、弥太郎に同情する者はほとんどいなかった。

編集部註:その後、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の競争が激化。1885年に岩崎弥太郎が亡くなると、政府の仲介で両社が合併し、日本郵船会社(現在の日本郵船)となった。

関連記事
「仕事は"こなす"ものではない」実業家渋沢栄一が習慣にした8つの事
「幕臣→官僚→大実業家」渋沢栄一はなぜ"転職出世"に成功できたのか
「独裁者ヒトラーは独学の達人だった」中野信子が警告する独学の落とし穴
「戦国時代のしくじり先生」石田三成の失敗にビジネスリーダーが学ぶべきこと
ブッダの言葉に学ぶ「横柄でえらそうな人」を一瞬で黙らせる"ある質問"