──些細なことで口論になり、小突かれた勢いで、肩口から壁際の本棚にぶつかった。上からバラバラと本が落ちて来て、箱入りの分厚い一冊が脳天を直撃したが、打ち所が良かったのか、酔っていたからなのか、コブにもならず、大して痛くもなかった。
それはいいとして、目の前の男は、あろうことか直撃を食らった私ではなく、落ちた本に飛んで行って、こちらに背を向けたまま本の無事を確認していたのである。どれだけ大事な本か知らないが、いくらなんでもそれはないだろう。──
というような書き方であれば、箱入りの分厚い本があったこと、その本が実は軽かったことなどを「人間よりも本を大事にする」エピソードのふりをして伝えることができる。
この後、落ちて床に散らばっていたのは赤い背表紙の本ばかりで、クリスティーファンだと知った、というようなことも書いておけば、箱入りの本がイレギュラーなものだという含みも持たせられる。更に言えば、大きくて重い本は、棚の安定のため下段に並べるもので、上にはあまり置かない。
ダブルミーニングな伏線が望ましい
もうひとつの条件は、ダブルミーニングな伏線が望ましいということだ。
さっきの本の例で、もう一つ重要なのは、「本好きを物語るエピソード」のふりをしているということだ。絵として美しい光景も、エピソードとして印象に残る場面も、ただ「記憶に残る」だけだと、ミステリ慣れした読者は、「詳しくは分からないけど、きっと何かの伏線なんだろう」くらいには勘ぐってくる。
もちろん、その程度の予測は恐るるに足らずだし、伏線と認識してくれるだけいいのだけれど、でもやはり、驚きは薄れてしまう。
望ましいのは、「そっちだったのか!」と思わせることだ。今回の例で言えば、「本を異常なまでに大切にする」ことを説明するエピソードだと思っていたら、まったく違う理由で張られた伏線だった、という驚きに変化することが大事なのだ。
これは、伏線そのものには「気付いた」のに、その真意には「気付けなかった」わけだから、悔しさも加わって、非常に効果的である。
別の意味に解釈されていたエピソードが解決編で真の姿を見せ、それらがパタパタと結合して最終的にまったく別の世界を見せてくれる、というのが、ミステリの醍醐味なのだ。
「世界が反転する」という評を読んだことがあるかもしれないが、まさしくそれで、見えている事象は変わらないが、それらの持つ意味が変化することにより、世界がひっくり返るのである。