小学生の頃母親がうつ病になり貧困生活が始まった
なつみさんは最近も10日ほどの休暇を取った。今度は病気の為ではなく弟の進級準備のためだという。弟にとってなつみさんは姉というより保護者そのものと言える存在なのだろう。
小学生の時、両親が離婚した。父親は転勤族だった。父親の最後の勤務地だった大阪に現在も住んでいる。以来、母親の面倒を見て、幼い弟の世話をしながら学校に通うという二宮金次郎さながらの生活を高校時代まで強いられてきた。
「親にいい物を買ってもらったり、ディズニーランドやUSJや旅行に行ったという友達の話を聞くたびうらやましかったです。USJは、私が2~3歳のまだ家族円満な頃に行った写真があるんですが、私の記憶にはありません。ディズニーランドは全く行ったことがないです。第一、東京自体に行ったことがありません。行きたいですけどね」
なつみさんが小学生のときにひとり親である母親がうつ病になり、貧困家庭としての生活がスタートした。旅行はほとんどしたことがないが、修学旅行だけ例外だった。
「小学生の頃はスペイン村、中学生の頃は沖縄でとても楽しかったです。もう一度行きたいけど、お金がありません。大阪からほとんど出たことありませんから」
弟の保護者として授業参観や運動会に出席
そう語るなつみさんは、普段から節約に節約を重ねた生活をしている。
「コンビニ弁当なんて高くて買えません。500円ぐらいするじゃないですか。500円もあれば、家族の食事が一食できてしまいますよ。野菜を中心とした料理でいつも安く済ませています。コンビニ弁当はたまにお客さんが差し入れてくれたのを、食べるぐらいですね」
なつみさんは、両親が離婚した小学生の頃からこうした生活になれてきた。中学生の頃なら誰もが迎える反抗期だが、なつみさんは反抗期らしきものはほとんどなかったという。いや、病弱な母親に反抗などしようがなかった。
「でも、中学生の頃はお母さんの病状も少し良かったので、演劇部の活動に熱中して、主役を張ったこともあるんです。一番充実していた時期ですね」
そう話すなつみさんは、母親がうつ病になってから、母親代わりに家事や弟の世話をするという日々を現在まで送っている。弟の授業参観や運動会などにも行くそうで、弟のクラスメートの保護者にはママ友的な友人・知人もいるそうだ。しつけの話になると、「叱るときは、きちんと叱らないといけない」と凛とした顔つきで話す彼女は、19歳の乙女には見えない。“母親”的な貫禄を漂わせる。