なぜ高学歴のインテリが地下鉄サリン事件を起こしたのか
今からちょうど26年前の3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。
実行犯である教団の主力メンバーの多くが高学歴者(東大生や東大医学部生もいた)であったため、世間は「なんで賢い人たちがあんな馬鹿なことをしたのか」と嘆いた。
入信するまでの決断はともかくとして、彼らがこのカルト教団に入信した際や、出家した際、その価値観や教祖の信念に身も心も100%染められていく。それにより自分の認知が歪んでしまうと、もうそれを変えるのは困難になる。
心理学の有名な用語に認知的不協和というものがある。アメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した概念だ。要するに、人間は、自分がある認知をしているときに、それを否定する認知を同時に受け入れることがとても不快で、自分の認知と相いれない認知を否定しようとする現象のことである。
たとえば、それをもっていると幸せになれるという高額な壺を買った人がいるとする。ところが、その後、どうもその壺はニセモノで詐欺商法だというニュースが広がってくる。
このニュースをそのまま受け入れてしまうと、自分は詐欺にひっかかったバカということになり、これまで払ったお金は丸損ということにもなる。
しかし、壺を売りつけた教祖のような人が「あのニュースは壺を買えなくて幸せになれない人たちがひがんで言っているだけだ」といった話をすると、そちらのほうを信じてしまうような現象だ。
有能な詐欺師は、この手の認知的不協和につけこんで、それがインチキだとわかりかけてくると余計にお金を使わせるという。たくさんお金を使うほど、インチキだと信じたくない気分が高まるからだ。
たとえば官僚にこう諭したとしよう。
「せこい出世をしたところでうまく次官になったとしても、今は天下りも禁止されているし、高い社会的地位が保たれるのは70歳くらいまでだから、魂を売るより、自分の能力を買ってくれる転職先を探したほうがいい」
彼らは、自分の成功をひがんでいるだけだと一笑に付すだろう。
同様に、医局で教授のいいなりになって、それなりに教授には気に入られているが、臨床の腕も上がらず、大した研究実績も上げていない人に、「ルートを変えると幸せになれる」とアドバイスしたところで「負け犬の遠吠え」扱いをするだろう。
こういう人が、まじめに人の話に耳を傾けないのは、認知的不協和によるものとは考えないだろう。
このように組織内の価値観というのは、いったん染まるとなかなか逃れることができない。
総務省の場合、この3年間で飲食の届け出がわずか1件であったことが発覚しているように省内の価値観として「無届け会食などは特に問題ない」というものもあったのかもしれない。トップエリートがそれに当たり前のように染まっていたのだろう。
AIやロボットの進化・普及で働きたくても働けない人が増えたり、テレワークの普及で在宅ワークが当たり前になったりする激動の時代に、周囲の価値観に染まりすぎていると、転身することは難しい。
今回の官僚の接待問題をきっかけにして、読者の皆さまも、自分が不適応な組織の価値観に染まっていないかを自省してみてはどうだろうか。