バブル期、消費者物価指数が低いままなのに、株価が上昇したのは今と同じだ。1986年から88年までの消費者物価指数の上昇率は全国総合(除く生鮮食品)で毎年0.5%に過ぎない。今の日銀の目標2%よりはるかに低かったのだ。それにもかかわらず、景気が過熱し狂乱経済と名付けられたほどの景気を生みだした。

不動産の代わりにビットコインが急騰

東京中をダンプカーが走り回り、タクシーは取り合いでつかまらない。ジュリアナ東京等のディスコのお立ち台ではミニスカートの女性たちが踊りまくり、バブル景気の象徴といわれた。

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余談だが、私の部下の米国人男性が、男性は決して登らないお立ち台の上で踊りながら名刺をばらまいたせいで、翌日、銀行に、若い女性たちからひっきりなしに電話がかかり、彼が逃げ回っていたのを思い出す。彼の名誉のために付け加えると、今、彼は米国ナパ・バレーのワイン農園のオーナーで、慈善活動として、アフリカにいくつもの小学校を作る活動に精を出している。今や初老の紳士だ。

これらの狂乱振りは資産効果(土地や株の保有者が、含み益の増加でお金持ちになった気になり、消費を増やす。それを見て株価がさらに上昇するという好循環が働く)のせいだ。

今が当時と違うのは、不動産はそれほど上昇していない点、そして資産効果を相殺するコロナ禍による景気下押しがある点だろう。実需が過熱していないので、咄嗟に撤退できない不動産価格が上昇しないのは理解できるが、その代わりに当時はなかったビットコインの価格急騰が著しい。

またワクチン接種とともに、コロナ禍による景気下押し圧力が薄れてくるだろう。そうなるとますますバブル相場に似てくると思われる。

バブル後の日銀の反省

このバブル、そしてその崩壊の後、澄田智元日銀総裁は懺悔をしている。

「確かに87年ごろから東京の地価は2ケタの上昇率を示し、株価もかなり速いペースで上昇していました。それなのに金利引き上げを実行しなかったのは、後から考えると、認識が不十分だったと答えるしかありません。(中略)ただ、土地や株、それに書画や骨董といった資産の価格だけが急激に上昇している意味を早く見抜けなかったことについては、私がその責めを負わなければならないと思っています」(『<真説>バブル』日経BP社)

この反省は、なにも澄田日銀総裁だけのものではなく、日銀内で共有され、2度と同じ間違いを犯してはならないとの教訓として残っているはずだ。

だからこそ、株価が、実体経済とかけ離れて急上昇している現在、普通なら「日銀の引き締めが近い。早く株式市場から撤退すべきだ」と忠告するところなのだ。特に私は、バブルの最中、日銀に「CPIのみに目を囚われて資産価格の急騰を見過ごすと取り返しのつかないことになる」と強く警告し、国内、海外にも「危ない」とさかんに発信をしていた。