学生時代はバックパックで中国を一人旅

「大手法律事務所の国際企業法務弁護士」というと、エリート街道まっしぐらなイメージを持つが、ここに至るまでの矢上さんには紆余曲折があった。

大学時代は法学部だったが、「当時の日本の司法試験は合格率5%といった狭き門。『試験勉強よりも、先に世界が見たい』と思い、大学を卒業した年に、学生時代にバックパッカーとして一人旅をした中国の大学院に留学した。「当時はみんな欧米を向いていたけれど、『次は中国が“来る”はず』という山っ気もあった」という。

2002年の大学院卒業後、アンダーソン毛利法律事務所(当時)の北京オフィスでパラリーガルとして働き始めた。事務所の上司の勧めもあり、そこを2年で辞めて日本に帰国し、できたばかりの法科大学院に入学した。弁護士になったのは31歳なので、「決して早いスタートではないですね」と話す。

法科大学院時代に、難民支援活動に従事する弁護士の講義を聞いて関心を持ったことが直接のきっかけではあったが、「移民や難民の問題に関心を持つようになったのは、高校時代の交換留学の経験からかもしれません」という。

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高校時代、アメリカ・カリフォルニア州ナパバレーのワイナリーで働く家庭で、1年間のホームステイを経験した。「通っていた高校は、全体の3分の1くらいをメキシコ系移民が占めていました。同級生の中には、『親は不法移民だけど、自分はアメリカ生まれだから市民権を持っている』という人も少なくなかったです。収穫時期にはブドウ畑でメキシコ系移民がたくさん働いており、『母国ではない国で生活する人たち』は身近な存在でした」と振り返る。

支援する弁護士はまだまだ足りない

2019年の日本の難民申請者は1万375人で、同じ年に認定を受けた人は44人と、認定率は0.4%にとどまる。認定数が少なすぎるという国際的な批判があるほか、申請から認定までに非常に時間がかかることも問題視されていて、矢上さんが関わったケースでも「3年以上かかるのはざら」だという。

申請者の中には、実際には難民ではないが日本で働くために難民申請をしている人もいるとみられているが、本来なら一刻も早く日本で受け入れられるべき難民の認定に時間がかかっているのは、大きな問題になっている。

また、「迫害を受けて日本にたどり着きながらも、支援団体や弁護士の支援を受けることなく難民申請をして不認定となり、命の危険があるにもかかわらず本国に強制送還される例もまだ多いのです」と矢上さんは話す。「弁護士が必要な難民認定申請者はもっとたくさんいるはずですが、まだ全然足りていないんです」と力を込める。