かつて犯罪は個人だけの問題だった

【藤井】それまで犯罪は遺伝するとか脳の異常だとか、ともかく個人化する風潮があった。有名なのは19世紀の骨相学。精神異常を頭蓋骨の形態から判断しようとしたのですが、その骨相学は、ヘーゲルの『精神の現象学』にも出てくる。

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でも個人を処罰するだけでは、どうも犯罪は減らない。やはり社会全体の問題として取り組んでいく必要があるという考えが徐々に浸透していったわけです。そして、ネオリベの時代、また犯罪の個人化が自己責任の言説とともに復活してきています。

【中村】遺伝するとか顔の傾向があるなどの研究があったのですね。確かにそういう部分はあるでしょう。面白いですね。

【藤井】いや、学術的には、そういう研究は否定されてきたんですけどね。倫理的に言っても、あまりに優生的に過ぎますし。

犯罪を社会問題として集合的に解決しようとすれば、政府の役割が増える。ネオリベ的政府はそれを放棄するので、当然犯罪は増える。仕方ないので警察の取り締まりを強化したり、罰則を重くする形で治安を維持しようとするわけです。

石原都政下の東京は、それが如実に表れていたのではないでしょうか。2章で中学生が水商売や風俗する沖縄の話がありましたが、中学生がキャバクラで働くのは本来なら行政がちゃんと家庭に入って、「ダメだよ、中学生まではちゃんと育ててあげなさいよ」と親を指導して支援すべき。

でも、それをやると行政の仕事が増えてお金がかかる。

だから、全部省略して取り締まりを強化する。子どもが働いている店を潰せ、という短絡的な発想になる。行政としてはそのほうがコストはかかりませんから。

社会問題に取り組まなければ治安は良くならない

【中村】厳罰化すれば負担や経費は減るので、確かに統治する側は得しますね。厳罰化もネオリベだったとは知らなかった。

【藤井】たとえば子どもの性風俗労働を防ぐためには、もっと大きなパッケージで家庭問題や貧困問題に取り組んでいかなくてはならない。政府がネオリベ的になればなるほど、そうした取り組みは民間やNPOなど団体任せになる。

もちろん、民間の団体や個人のがんばりだけではなんともならないので、結局、子どもたちは闇に潜って売春することになる。やはり、ネオリベには大きな責任がありますね。

【中村】AV業界でもいろいろな人びとを見てきましたが、彼らは違法か合法かはどうでもよくて、捕まるか、捕まらないかだけが行動の基準になる。違法だからやってはいけないという感覚は誰も持っていなくて、捕まるならやらない。一線はそこだけですね。

【藤井】遵法精神ではなくて、治安権力への警戒なんですね。

【中村】なので、彼らがもっとも気をつけるのは、未成年をAVに出演させないこと。もし出演させれば、警察がすぐ動く。だから、仕組みをつくって徹底して手をださないようにしている。

たまに事件になるのは女の子側が身分証明を偽造して出演したとか、確認を怠ったとかのミスです。逆にAVに無理やり出演させていた出演強要は、脅したり、騙したりして出演させても逮捕されることはなかったから。だから、まかり通った。