3年後、5年後…ライフイベントを書き出して見えたこと

採用試験の前日、立教大学との試合があり、神宮球場で初ホームランを打った。採用試験で「球場のベースを一周する時に御社の看板が見えたので、運命だなと思いました」というようなことを言うと、面接官は非常に喜び、トントン拍子で内定が出た。「これまで恵まれた人生を送ってこられたのは野球をやっていたおかげだ」と思った。

次に栗原さんは「家族年表」の作成に取り掛かった。目標は決まったが、それをどのような時間軸で達成するかを考えるためである。

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まず横軸に自分、妻、2人の息子の名前を書き、縦軸に暦年を書く。来年、3年後、10年後に妻や子供は何歳で、その時期にそれぞれがどのようなイベントを迎えるのかを書いた。この作業をしたことで、長男や次男が大学を卒業する年に自分はいくつになっているかといったことが「見える化」し、子育てがいつ終わるのか、それまでに教育費がどれくらいかかるのかといったことを具体的に把握することができた。

実際に早期退職でキリンを卒業したのは56歳の時だから、栗原さんは約10年がかりでライフシフトをしたことになる。「私の履歴書」と「家族年表」の作成はそのための下準備といえたが、実際にこれまでと大きく異なった生活に踏み出すには、さらに準備が必要だった。

故郷か住み慣れた赴任先、選んだのは

一つは住まいである。キリン在職中、栗原さんは長く社宅に住んでいたが、社宅にも定年制があり、次の転勤時は借りられない年齢になっていた。そこでライフシフトに備え、持ち家を買うことにした。

さて、どこに住むか。

栗原さんはキリンビールで34年間に及ぶビジネスマン人生を送り、通算すると10年以上を九州で過ごした。家族の生活基盤は九州にある。一方、東京は生まれ育った故郷で当時入院を経験した母親もいる。兄が2人いるとはいえ、そばに居てあげたいという思いもあった。

栗原さんは迷った挙げ句、九州を選んだ。当時、子供は高校生と中学生。東京に家を買えば家族の生活は大きく変わり、馴染むために多大な労力がかかると思ったのが最大の理由だが、住まいの価格、物価も含めた日々の生活費という観点から考えても、九州に魅力を感じた。

特に似たような条件の自宅を購入した場合、東京を選べば多額の住宅ローンを抱えることになり、ライフシフトがしにくくなるということを考慮した判断に驚く。多くの人は、つい足元の環境だけを踏まえて物事を判断してしまうだろうと思うからだ。