「人との縁を大切にする生き方」を貫いた
栗原さんが九州統括本部長時代に部下として仕えた永元禎人さんは言う。「栗原さんは被災3県を本当によく回っていました。そこで復興を進める人たちとコミュニケーションを取っていた。一方、会社の立ち位置に対する理解も深かった。その両立に悩んだのではないでしょうか」
栗原さんは次男が就職を決め、子育ての終了がはっきりすると、即座に早期退職を申し出た。「私の履歴書」と「家族年表」に従った行動ではあるが、ライフシフトを決めたもう一つの理由があると言った。「復興支援のお手伝いをさせてもらった人間が、次に異動するときに営業に戻るなど、新たな部署で働く姿が想像できませんでした」
言わんとすることは、おそらくこういうことだろう。例えば昨日まで復興支援で接していた被災地に住む人に、立場が変わったとたん「キリンビールを買ってください」というようなことは言えない。もし本当にそんなことを言って、聞かされた方に「それが目的で、これまで親身になっていたのか」という思いが芽生えたら、それが自分の本意ではないとどこまで伝えられるか自信がないのではないか。
「キリンには感謝しかありません。今の自分があるのはキリンのお陰だと思っていますから。営業現場も工場勤務も経験したし、CSVは最後の仕事として最高でした。後は若い世代に託すのみです」。栗原さんはそう言う。
それは偽らざる心境と思う。あえて加えるとするならば、47歳の時に「私の履歴書」を書きながら、自分がどのような人間なのか、何がしたいのかを冷静に分析し、最も大事にしている「人との縁を大切にする生き方」を生涯実践しようとしているからこそ、栗原さんの今はあるのかも知れない。