英語が話せないのに
海外へと自ら動いた松下幸之助の凄さ

四半世紀を超えて世界に君臨する日本発のグローバル企業は、いずれもモノづくりに秀でた会社ばかりである。製品が品質の高さを物語る、黙っていても使ってもらえればよさがわかるような領域では、日本企業は俄然強さを発揮する。

その理由は3つある。

1つは、日本的経営が持っている粘り強さ。円高、原油高、環境問題など数々の逆風に晒されても創意工夫でそれを乗り越え、ピンチをチャンスに変えてきた。

2番目は、モノづくりを支える部品業のインフラ。東京・大田区、東大阪市、長野県諏訪湖周辺、静岡県浜松市周辺と、部品業の大きなクラスターが日本には4カ所ある。かつては大田区だけで8000社を数えた部品メーカーが今や3000社しかないというから先々のことを考えると暗くなるが、これだけの部品インフラは世界中どこを探しても見当たらない。中国も台湾も韓国も、日本の基幹部品と工作機械を買ってアセンブリーだけ自前でやっているようなもので、日本との貿易不均衡を構造的に抱えている。

3番目は、マーケティングやチャンネル開拓、商品開発など市場への積極的な投資。日本のメーカーは収入の25%相当分を、売り上げた海外マーケットに投資して、社名や商品のブランド化に励む。サービス網や物流デポなどにもカネを惜しまない。

中国人や台湾人は目に見えないものには投資しない。だから中国や台湾に世界で認知されているブランドは一つもない。韓国は日本を見習ってマーケット投資をするようになったが、それでもコンシューマーブランドを確立した会社は、頭をひねって考えても、サムスン、LG、ヒュンダイの3社しか出てこない。日本なら車でもテレビ、カメラでも、世界の誰でも知っているブランド名が20や30は挙がるだろう。

これら戦後第一世代の日本の企業人は、日本的経営の骨格であり、モノづくりの三種の神器ともいえるこうした強みをコツコツと地道に育ててきた。R&D(技術開発)に、人材に、デポやロジスティクス(物流)に投資をして、地場の産業と競争しながら営業拠点を一つまた一つと広げ、世界に冠たる日本ブランドをつくり上げていったのだ。そうした経営者列伝が、今や完全に途絶えてしまった。