「緩い」説明のほうが実は科学的

ポパーが先程の引用で指摘しているのは、意図せざる結果のうち、意図を貫徹できなかったパターンです。少し前のところで、日本の雇用安定化や研究における「選択と集中」の例で説明したものですね。しかしすでに述べたとおり、むしろ見えにくいのは「意図は達成されているが、副次的結果が見通しにくい」パターンでしょう。

筒井淳也『社会を知るためには』(ちくまプリマ―新書)

私たちは無数の制度・構造が絡み合っている社会という環境に投げ込まれていますから、思いもかけない出来事は常に発生します。私たちはその絡み合いのほんの一部しか認識できません。意図と構造の関係は、直接的なものではありえず、緩みのある関係で結ばれています。

そのため、社会を説明する理論も、ある程度緩みを含みこんだものであったほうが、説明力が高くなることがあるのです。

逆説的に聞こえますが、こと社会的現象や社会変化についていえば、一定の緩みをその中に含みこんでいる知見の方が、全体としては適切な説明を与えることがあるのです。

社会は「意図せぬ結果」でできている

それは、一つには、結果の原因として誰かあるいは何らかの組織の意図を必ずしも想定しないからです。この世の誰も意識していないようなつながりの連鎖で、社会は動いています。

意図せざる結果が紡ぎ出す関連性を暴き出すのは、ジャーナリストが陰謀論を暴くよりも、ある意味でもっと大変な仕事です。たいへんなわりに、陰謀論を暴くよりもずっと地味な作業です。しかし間違いなくこの作業は重要なのであって、決して軽視してはならないのです。

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