経営が悪化し収入がゼロになったことも……

貧困で不平不満をこぼす人もいます。もちろんお金がなければできることが限られるので不便ではありますが、それで発奮するかクサるかは、本人の自由であり、自己責任です。

「やむを得ず、低賃金で不安定な仕事に就かざるを得なかっただけだ」という主張もありますが、ならばそうではない会社に選ばれる能力を磨けばいい。

「チャンスがなかった」という人は大きな勘違いをしていて、たとえば図書館に行けば最新のビジネス書や専門書もあってタダで勉強できるし、世界のトップ大学の講義もオンラインで無料公開されています。だから大学に行けなかったから教養や専門知識が身に付かないということもありません。

私もかつて経営していた会社の業績が悪化し、自分の給料すら払えなくなり、家賃5万円のボロアパートに引っ越したことがあります。

それでも、たとえば近所の安い焼き鳥屋を見つけて喜んだり、コーヒーおかわり自由のカフェで何時間も居座ったり、それなりに楽しくやっていました。

お金もなく住んでいる家も貧しいけれど、「なんとかなるさ」という希望を持っていれば、人生はお気楽なものです。

つまり、貧しいこと自体が問題なのではなく、自分よりも豊かな他人と比較し、貧しい状態の自分を悲観してしまうことに問題があるように思います。

そういうと、「希望が持てない社会が問題なんだ」「未来に希望が持てないからだ」という人が現れますが、希望とは誰かに与えられるものではありません。

自分が希望を持てば、自分の人生は明るくなる。自分が希望を捨てれば、自分の人生も暗くなる。それはどちらも正しい。つまり、自分はどちらの人生を志向するのか、という自由選択に過ぎないのです。

上司が無能すぎてモチベーションが上がらない人の残念さ

自己責任論とは、文字通り自分の人生に責任を持つことです。

他人を見下すとか社会的弱者を突き放すことではなく、「自分で決める、その結果は受け入れる」という覚悟を持つことです。他人に決めてもらうと、その結果が望ましくないときに不満となります。

だから決定権は他人には譲らない。自分で考えて決めることです。そういう強固な自己責任は、他人や環境や社会の事象からのマイナスの影響を極力受けないように工夫することにもつながります。他人に依存するのをやめれば、自ら何とかしようと考え対策を練ることにつながるからです。仮にマイナスの影響を受けたとしても、それを自力で修正・改善する意思につながるからです。

たとえば、「上司が無能すぎてモチベーションが上がらない」と嘆く人がいます。

しかし、他人に自分のモチベーションが左右されるのはつまらないと思いませんか。「無能すぎる上司」のために、自分のやる気が損なわれるのは悔しくないでしょうか。

それに、他人が有能でないとやる気が出ないなんて、ずいぶんと守備範囲の狭いモチベーションしか持っていないなと思いませんか。