「人にはどうしようもない逆境」もある

普通の人ならこれだけ目算が狂えば「やっていられない」と自暴自棄になってもおかしくないところですが、渋沢さんの逆境への対処法は、逆境が「人の作った逆境」か「人にはどうしようもない逆境」であるかを見極めたうえでどうするかを考えるというものです。

このようにアドバイスしています。

「人にはどうしようもない逆境に立たされたら、天命に身を委ね、腰を据えて来たるべき運命を待ちながら、コツコツとくじけず勉強に励み、人の作った逆境に立たされたら、ほとんどは自分のやったことの結果であり、とにかく自分を反省して悪い点を改めよ」

対処しがたい逆境にあっても、「これが今の自分に与えられた役割だ」と覚悟を決めれば心穏やかに、しかし本気でがんばることができるというのが渋沢さんの考え方でした。

自分に責任のある逆境は反省するほかありませんが、歴史の転換点となる出来事のような、人にはどうしようもない逆境にあっては「天命に身を委ね、腰をすえて来たるべき運命を待ちながらコツコツと挫けず勉強する」ほかありません。

苦境において「自分にコントロールできる問題とできない問題を切り分けて、コントロールできる問題に注力する」というのは、多くの成功者の共通項です。

その言葉通り、大政奉還が行われた時フランスに滞在していた渋沢さんは、ヨーロッパに繁栄をもたらしている資本主義経済に触れ、銀行の果たす役割や株式会社のありようなどを懸命に学びます。そしてそれはまさに、明治維新の日本に最も必要な知識の一つだったのです。

「私利よりも公利」の姿勢が強さとなる

資本主義経済に触れた欧州からの帰国後、静岡藩、明治政府を経て実業界に転じた渋沢さんは冒頭のような目覚ましい活躍をしますが、その際、最も大切にしたのが「道徳に基づいた経営」であり、「自分のことよりもまず社会を第一に考える姿勢」でした。

その姿勢は徹底しており、かつて三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎さんから「君と僕が堅く手を握り合って経営すれば、日本の実業界を思う通りに動かすことができる。これから2人で大いにやろうではないか」と誘われた際も、「独占事業は欲に目のくらんだ利己主義だ」と腹を立て、その席にいた馴染なじみの芸者と一緒に姿を消したという艶福家の渋沢さんらしいエピソードが残されています。