日本近代資本主義の父、渋沢栄一。2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、2024年度からは新1万円札の顔になる人物です。しかしその人生は、挫折や計算違いの連続でした。どうやってそこから立ち直り、数々の偉業を成し遂げることができたのか――。
※本稿は、桑原晃弥『乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
混迷する時代の中で志を貫いた
「逆境に立たされる人は、ぜひともその生じる原因を探り、それが『人の作った逆境』であるのか、それとも『人にはどうしようもない逆境』であるのかを区別すべきである」
(渋沢栄一著、守屋淳訳『現代語訳論語と算盤』ちくま新書)
(渋沢栄一著、守屋淳訳『現代語訳論語と算盤』ちくま新書)
渋沢栄一さんに関する話題が尽きません。2021年のNHK大河ドラマは渋沢さんを主人公にした「青天を衝け」が予定されていますし、2024年度からは新1万円札の顔としても登場します。これまでも渋沢さんは紙幣の顔として何度も候補にのぼっていますが、当時は偽札予防の観点から「髭がない」という理由で実現しませんでした。「日本の資本主義の父」として満を持しての登場と言えます。
それにしてもなぜ今、渋沢さんがこれほど脚光を浴びているのでしょうか? 理由は、混迷する時代の中で自らの志を貫いた渋沢さんの生き方にあります。
ノーベル平和賞候補に2回もノミネート
渋沢さんが第一国立銀行を初め、のちの王子製紙や東京海上火災、東京電力や東京ガスといった約500もの企業の設立や運営に関わったことはよく知られていますが、それ以上に注目すべきは、約600とも言われる教育機関や社会公共事業の支援を行ったことや、悪化の一途をたどっていた日米関係を改善するために高齢の身を押して幾度も渡米するなど、民間外交に力を注いだことではないでしょうか。
こうした活動が認められ、ノーベル平和賞の候補に2度も選ばれました。渋沢さんほど、世界に目を向けた活動をする一方で、弱い立場の人たちに目を向け、かつそれを生涯実行し続けた企業家は世界でも稀有な存在と言えます。