猫と一緒に食事をとり、一緒に眠った

モンちゃんが飛び乗ってからしばらくの間、車の中では“猫のおじさん”も何かもぞもぞと動いているようだ。できるだけ目立たないようにと、後輩の男性記者が一人で、遠目から見に行くと、男性も猫も食事をしているという。男性はコンビニ弁当を食べながら、猫にはキャットフードを与えていた。そして車には布団や衣類が詰め込まれているのも確認できた。

“猫のおじさん”は弁当やキャットフードを購入するだけの資金はあるようだ。貧困を理由に車上生活をしているわけではないのかもしれない。ではなぜ車上生活を続けているのだろうか? 一つの発見が新たな疑問を生む。車上生活の取材はこの連続であった。

本当に車上生活を送っているのかどうか確信が持てなかったため、数日間、様子を見守ることにした。この道の駅の駐車場には他にも車上生活を送っていると思しき車は見受けられたが、毎日決まった場所、決まった時間にやってくるのは“猫のおじさん”だけであった。

いつもの場所に車を停めると、猫を招き入れ一緒に食事をとる。しばらくすると車を降りて、弁当のゴミと生活ゴミを自動販売機横のゴミ箱に捨てに行く。細かく分別をしているようだった。その後しばらく車の電気はついたまま。ラジオか何かを聞いていたのかもしれない。10時頃になると車の電気を消して眠りにつくようであった。

すぐ隣にいても、気づかれることのない人たち

本当に車上生活を送っている人がいるのだな。しかし毎日、同じ場所にいるのに誰か気にとめてくれたりはしないものだろうか──。“猫のおじさん”を待っている間、そんなことを思いながらふと顔を上げると、日中よりもスピードを上げた車が、駐車場横の幹線道路を次々と走り去って行くのが見えた。

“普通”に生きている人にとって車上生活者は、たとえそのすぐ隣にいても気づくことのない存在なのかもしれない。私は大学院で研究していた頃に聞いた、あるホームレスの人の言葉を思い出していた。

当時、吉祥寺周辺でホームレスの調査をしていることを話すと、ほとんどの人が「吉祥寺にそんな人はいないでしょう?」と口をそろえた。公園のベンチや商店街の通路のほか、あらゆる場所で見受けられるはずの存在をなぜ見つけることができないのだろうか? そんな疑問を、井の頭公園で楽器を演奏し、日銭を稼ぎながらホームレスを続ける男性にぶつけてみた。