コロナ禍伝えるため宗教界と行政、大学連携で「祭り」を考案すべき
過去、送り火が中止になったケースはある。1972(明治5)年から1882(明治15)年まで、明治新政府の命令で送り火はご法度になっている。これは、国家仏教から国家神道への切り替えのため、それまで神仏習合していた仏教と神道とを切り分けよ、との法令「神仏分離令」による。
送り火の中の「鳥居型」があることで、送り火全体が神仏混淆であるとされた。本来仏教行事なのに、神社の象徴が灯されるからだ。鳥居型の送り火は近くの愛宕山の「一の鳥居」を模したとの説が有力だ。愛宕山は江戸時代まで神仏習合の修験道の聖地であったが、神仏分離によって純然たる神社となった。
また、戦時下の1943(昭和18)年から1945(昭和20)年までは夜間空襲を避けるため取りやめに。その後75年間、台風であろうと大雨であろうと、中止は一度もない。2000年大晦日には「ミレニアム」を祝って特別点灯されている。「点」のみの縮小開催は初めてだ。ある意味、稀有な機会であり、逆に人が集まるような気もしなくもない。
祇園祭に、送り火も。京都人のアイデンティティをつくる大切な宗教行事のほか、今年は京都全域の町内会で実施される「地蔵盆」も、中止を決めた自治会が多い。
その昔伝染病によって祇園祭が生まれたように、コロナ感染症が収束した後には、新たな祭りを京都で創出してもよいかもしれない。いや、このコロナ禍を伝えていくためにも、宗教界と行政、大学などが連携して、後世に残る「祭り」を考案していくべきだろう。それが京都人のアイデンティティを維持する方法ともなるはずだ。