「教師の講義」は勉強の役に立たない?
私たちは毎週、子どもたち一人ひとりに「何がうまくいっていて、何がうまくいっていないのか」を尋ね、その理由も確認した。そして、それをもとにすぐに改良を行った。
「取り組んでいる知識の習得に、どのリソースが一番役立ちましたか?」
子どもへのこの質問に対し、「教師の講義」という答えが数週間連続で最下位になったことがあった。「自己主導性の学習時間」が好評なのはいいが、通常の講義がまったく役に立たないというのも困る。最初、私たちはこう考えた。「ティーンエイジャーたちは決められたものを嫌がるのだろう。とくに自由を味わったあとでは」
そして私たちはこのデータをやり過ごした。だが同じ結果が続いているうちに、これを無視するのは誠実でもないしプロらしくもないという話になった。誰かが「私たちの仮説が正しいか検証してみよう」と言い出した。講義を必須ではなく、任意参加にしたらどうだろう。子どもたちの評価は上がるだろうか?
みんな、不安を感じた。必須でなければ子どもたちは参加しないかもしれず、その分の学びが犠牲になるかもしれない。それは教育上の過失にはならないだろうか? 最終的に私たちは検証を行うことにしたものの、期間は1週間に限定した。仮にその間、子どもたちの学びが失われたとしても、そのくらいであればみんなで協力して取り戻せると思ったのだ。
「強制参加」と思うと評価が下がる
結果は、予期していたものではなかった。生徒たちは全員、教師の講義に参加し、それでも順位は最下位のままだったのだ。どういうことだろう?
私たちはテスト期間を1週間延長した。結果は同じ。3週目も同じ結果だった。生徒たちは学びを失ってはいないが、それを有益だとは思っていないのだ。これには困惑した。
グループで話し合いをしてもらうと、真実が明らかになった。子どもたちはクラスが任意だとは信じていなかったのだ。出席をしないと欠席と記録されたり、ペナルティーを受けたりするのでは、と思っていた。過去の学校体験から、教師による講義はあまりにも基本的なものとして条件づけられていたため、選べるのだと言われても言葉どおりには受け止めていなかったのだろう。