「料理人一筋で生きるのもいい人生だと思ったけど、何か心残りがある、何かが足りないと感じていました。それがほのぼの屋で働く事で、埋まったんですわ。おこがましいけど、人の役に立つような事ができたらええなぁと。やっぱり、姉の存在があったからですよ。そうそう! うれしかったのは、前の店の常連客に舞鶴まで料理を食べに通ってくれる方が結構おられる事かな」

体調によっても変わる「障害」との向き合い方

2005年7月──。

糸井は20年間親しまれた自分の店を閉じ、一家で舞鶴に移り住む形でほのぼの屋・二代目シェフに就任した。「心残りが埋まった」と語る糸井だが、ほのぼの屋からすれば、糸井という強力なシェフが加わる事で、料理という一番大きなパズルのピースが、安心感で埋まった瞬間だった。

とは言え、今まで料理を作ってきた環境とは、店の形態が異なる。そんなほのぼの屋の在り方について、糸井はどう捉えているのか?

「画期的な試みやと思うね。障害がある方が働く食堂みたいな所はいっぱいありますよね。でも本格的なフレンチで行こうって気持ちが凄い。そのために、自分がシェフとして働けるのも、充実感はあった」

こと料理に関しては「変なプライドは捨てなアカンかった」とも振り返る。自身が作った料理を、厳しい言い方だが、素人同然の子に運ばせる。毎日、献立の内容を事細かに説明し、その時は「わかりました」と返事をしても、翌日も、同じ説明をするはめになる。最初こそ「カッカした」そうだが、いつしか「その毎日が進歩に繋がる」と切り替え、料理へのプライドを保ちつつ、彼らに歩みより始めた。

「姉の事もあるから、ある程度わかるんです。障害とひとくくりに言うけど複雑でね。その日によって体調が違うし、今日は調子ええなぁと思ったら、次の日にはガタンと来たりね。でも、千差万別で能力高い人もいるし、才能を感じる事もある。時間がかかるし教える方も根気が要りますよ」

伸びた事実が大切であり、待つ事に意義がある

だが糸井は同時に、少し表情を引き締めこうも直言する。

「でもね、障害を持つ人への優しさばかりが前面に出るばっかりやったらダメやと思うんです。やっぱ、ある面、厳しさも植え付けて行かないと進歩がない。もうしんどいんやからやめとき、じゃなくて、よし、今日は頑張ってみぃ! と。愛情のある厳しさを持って接しないとね」

ほのぼの屋に限らず、障がい者の就労施設を見学していて時折感じる事がある。彼らの頭の中には、1を一気に100にしようという幻想は存在しないという事だ。段差を慎重に確認して足を運ぶように、横着せず実直に1を2にする事だけを考えている。どんな人間でも千回言えば絶対に伸びる。その伸びは1ミリかも知れないし、10センチかもしれないが、例え1ミリでも伸びた事実が大切であり、待つ事に意義がある。

そう、待つ事で人は確実に成長していくのだ。

糸井が時折浮かべる、愛と厳しさを両手に抱えたような、慈しむような目線。これが愛情のある厳しさなのだろうと感じた。また、ほのぼの屋の土台は、この両輪によって支えられているのだとも。