コミュニケーションが苦手なスタッフはどうしているか

セッティングや皿洗いを任されている下森君子さんは、鬱病と長年戦いながら働き続けている。軽やかにトトトと二階に登ると、下を望みながら、「最後は上から見て、キレイに感じるか感じないかで決まる」と、調整の“コツ”を教えてくれた。

その様子を一階から見上げていた六田はこう付言する。

「最後の仕上げは、下森さんじゃないとダメなんですよ。僕たちがアレコレやっても、どうもしっくりこないんです」

その言葉に今度は下森が、「でも、ロクちゃんがリーダーやからね」と、ほほ笑みながら声を弾ませた。みんなの気持ちを優しく解きほぐすような彼女の笑顔に、取材中、何度も和まされた。

ほのぼの屋では、コミュニケーションが苦手なスタッフに対し、わからない事を聞かれたら、「お待ち下さい」と答えて別の人に引き継ぐ、などの対応を徹底し、誰にも不快な気持ちにさせない為の工夫が凝らされている。それは、積み上げた経験の上に生まれた配慮であり、特別扱いという考え方は微塵みじんも存在しない。

「お二階、ランチのお客様がお目見えです!」

号令にも似た近久の声に、全員が「はい!」と目の色を変えた。

ここから先は、障害など関係なく、一人のスタッフとして、一人の働く人間として、お客さんを笑顔でもてなすという仕事が待っている。

店を育てるのは、有名ホテルで修業を積んだ料理人

そんなスタッフに対し、厨房から仮借ない目線を光らせつつも、優しさに満ちた雰囲気で包みこむのが、シェフの糸井和夫さん(69)だ。

彼はほのぼの屋へやってきた理由を、「自分が求めてきた役目が回ってきた」と語る。その言葉通り、この場所へやってきたというより、運命の螺旋らせんに導かれてたどりついたと表現する方が適切かもしれない。

糸井は1947年、京都市北区に生まれた。料理の道を志し、三重県志摩市の志摩観光ホテルに入社した。立地を存分に生かし、伊勢海老、鮑、牡蠣などの海の幸を取り込んだフランス料理で知られる名高いホテルだ。若き修業時代を、糸井はこう回顧する。

「そりゃあ、ただただ厳しかったよ。教えるというより、見て覚えろ、が当たり前やからね。今やから言えるけど、包丁飛んできたりもあったよ」

その厳しささえも自分の為の修業と捉え、20年間そのホテルで腕を磨き、「自分の料理を試してみたい」と思い立って、1985年に自身の店を開いた。順調に常連客も増え続け、傍から見ても経営は順風満帆。気が付けば開業から20年が経過した折、ほのぼの屋のシェフに誘われたのだった。