AO入試がどうしてここまで拡大したのか――。AO入試は1990年、新設された慶大湘南藤沢キャンパス(SFC)の総合政策学部、環境情報学部が、欧米の大学入試制度などを参考に、書類審査と面接による入試を導入したのが始まりだった。その当時、「受験戦争」と呼ばれるほど大学進学競争が過熱し、入試で大勢の志願者をふるい落とすため、重箱の隅をほじくるような難問が続出。その結果、社会から非難を受けるようになっていた。
そこに登場したのが、「学力検査に偏重しない試験」であるAO入試だった。政府もAO入試に目をつけ、97年に発表された中央教育審議会の答申では、「過度の受験競争の緩和」につながる解決策の1つとして、「AOの整備」を提言。国のお墨付きを得たAO入試はその後、教育界で急速に普及することになる。しかし、大学の増設や少子化などを背景に、大学間の「学生争奪戦」が激化するなかで、AO入試のありようが変化していく。
その点について大学ジャーナリストの石渡嶺司さんは、「学生をともかく確保したい大学の願望と、辛い受験勉強を避けたい学生の思惑とが一致して、AO入試の枠が拡大したのです」と指摘したうえで、次のように話す。
「推薦入試には、出願が11月1日以降、しかも、学生数を入学定員の5割未満にとどめるという縛りがあります。しかし、AO入試には、そうした制約がなかったため(11年度からは、出願が8月1日以降という縛りができた)、大学側の高校生の青田買いに利用されて、その枠が拡大してきたのです」
入試タイプによって年収に70万円の差が
AO・推薦入試の野放図な拡大で、大学生の学力低下という弊害も顕在化する。14年に発表された中教審の答申では、一部の大学で「AO・推薦入試が本来の趣旨・目的に沿ったものになっていない」と疑義を呈しており、政府も問題視するようになったことがわかる。学力不足の学生の増加は、大学の教育現場にも混乱を招き、AO・推薦入試に批判的な大学教員も増えた。
その1人である神戸大学経済経営研究所特命教授の西村和雄さんは、「AO・推薦入試は、学生の多様化が狙いだったはずなのに、『学力の多様化』を招きました。そして、学力の低い学生を増やす結果になっているのです」と批判したうえで、自らの経験について次のように話す。
「ある私大に講義に行ったことがあるのですが、その大学はAO・推薦入試の割合が高く、教室内が右に一般入試組と左にAO・推薦入試組に分かれ二極化していました。AO・推薦入試組はヤル気がなく、、携帯電話をいじったり、いちゃついていたりして、講義をほとんど聞いていませんでした」