高学歴でも読解力がない日本人
この話は、筆者にも思い当たるフシがあります。
筆者は10年間ほど、コンサルティング会社を経営してきた経験を持っているのですが、仕事でやり取りのあったビジネスパーソンの一部は、業務に関するメール上のやり取りについて、内容を十分に把握できていませんでした。
こうした状態を放置すると経営に支障を来すため、筆者は、可能な限り箇条書きにする、要件ごとにメールを分ける、確認のメールを送るといった対策を施し、案件を無事に処理できるよう工夫していました。
ちなみに、メールをやり取りしている相手というのは、いわゆる高学歴な人物ばかりであり、基礎学力という点では国内でもトップクラスに属しているはずです。山口氏のケースもおそらく同様でしょう。いわゆる高学歴な人であっても、基礎的な読解力に欠けることが多いというのは、由々しき事態です。たかがメールのやり取りではありますが、「チリも積もれば」の理屈で、社会全体の生産性を大きく引き下げている可能性があるのです。
メンタルな影響も無視できない
文章の読解力がどのように確立するのかというのは、実は非常に奥が深いテーマであり、簡単に答が出せるものではありません。単純に文章を読むテクニックに依存する部分もあるかもしれませんし、論理性の有無といった根本的な問題も関係しているはずです。
これに加えてメンタルな影響も無視できません。感情が先に立ってしまうと、自分の感情やイメージに沿ったキーワードだけを無意識的に抽出し、まったく異なる結論を導き出してしまうことがよくあるからです。
言語によって、脳内における情報処理のアルゴリズムが異なるという研究事例も存在していますから、そうなってくると、他の言語圏との比較も必要になってくるでしょう(ちなみに山口氏は米国人とのやり取りではそうした行き違いは生じにくいとも主張していました)。
ここまでくるとテーマが壮大になりすぎてしまいますが、実務的には2つのアプローチがあると筆者は考えています。