そもそも、なぜ不倫は悪いことなのか

共通するのは、自分は正義の側にあり、悪いことをした人間を「ほかならぬ私が直々に懲らしめてやらなければ」という心に燃えている点です。

不倫は昔から芸能ニュースの「鉄板ネタ」ではありました。古くは沢田研二さんと田中裕子さんの略奪婚、松田聖子さん、津川雅彦さん……もう枚挙にいとまがありません。伝統芸能の世界や政界もしかり。“隠し子”がいた歌舞伎役者や国会議員など、数え上げようとすれば近年だけでも両手どころでは足りないかもしれません。

しかし、以前は現在ほど不倫に対して世間の目が厳しくなかった、という声が聞こえることもしばしばです。それではなぜ、不倫バッシングがこれほど猛烈になってきたのでしょうか?

そもそもなぜ不倫が「悪」とされるのか?

拙著『不倫』(文春新書)でも詳しく書きましたが、まずはそのメカニズムからお話しするほうがご理解いただきやすいかもしれません。

不倫はフリーライダーのようなもの

人類は共同体の中で、一定のコストを負担する見返りとして、共同体からリソース(資源)の分配を得て生活しています。たとえば、私たちは税金や社会保障費用を納める代わりに、インフラや医療の恩恵を受けられます。

しかし、中にはコストを負担せず、「おいしいところどり」する者も出てきます。これをフリーライダーと呼びます。フリーライダーはアリやハチなどの社会にも見られますが、一定の割合を超えてしまうと、共同体のリソースは減るばかりです。

……たしかに不倫をする人は、フリーライダーと言ってもよいかもしれません。(現在の)社会規範に反しているからこそ「不倫」と呼ばれるわけですから。

フリーライダーがひとたび検出されるとどうなるか。集団内の人が、その人にフリーライドを改めてもらえるよう、何らかのかたちでアラートを発します。アラートの段階で行動が改められない場合、そのフリーライドをなんとか食い止めるため、実力行使してでも制裁を加える必要が出てきます。そうしなければ、集団内のすべての人に「なんの制裁も受けないならフリーライドしたほうが得」という戦略が広まり、集団そのものが崩壊してしまうからです。