「出会い」より「再会」に感じる縁

これか?

まことに畏れ多いのだが、出雲神社は神社のミニチュアのようなのである。私は体を少し屈めて鳥居をくぐる。5歩進んで貯金箱のような賽銭箱にポケットの小銭を入れ、出雲大社のしきたりに従って二礼四拍手一礼。何やら神社から私の体がはみ出ているようで、神威に包まれるというより、私が包んであげないといけない感じさえする。

人が来るのだろうか。しばらく鳥居の前に佇んだのだが、一向に誰も立ち寄らない。立ち寄る気配すらないのだ。時折、子供がやってきて置き石で跳ねたり、賽銭箱を覗き込んだりするだけ。人々は私の前を素通りしていく。次第に狛犬の気分になり、神様はもとより私も無視されているようで、縁結びどころか縁遠くなっていく感覚に襲われたのである。

思い起こせば、島根県の出雲大社に出かけた時はこうではなかった。広い境内には女性たちがあふれ、歩いていると私はたびたび声をかけられた。「写真お願いします」と。カメラを渡され、彼女たちの記念写真を撮る。

「はい、チーズ」と言ってシャッターを切ると「ありがとうございます。出雲大社の方ですか?」と訊かれ、「いいえ、違います」と答えると、「えっ、じゃあ、どちらから?」「川崎から」「そうなんですかあ」「皆さんはどちらから?」という具合に話が弾んだ。

その後、夕刻に境内をうろうろしていると彼女らにばったり会い、「あっ、今朝ほどは」と一礼される。いうなれば再会。婚活中の女性たちによると、「出会い」より「再会」に縁を感じるそうで、縁結びとはこのことかと感心したのである。

出雲大社はイメージ戦略のパイオニア

もしかするとラゾーナ川崎プラザ全体が境内ということか。ショッピングセンターを行き来する人々を眺めながら、私はそう思った。出雲神社が屋上から全体を見守っている。閉ざされた空間でランダムな衝突が生み出す縁。ステキな出会いとは、チカラの物理学ではないだろうか。

「出雲大社はイメージ戦略のパイオニアなんです」

晴れやかにそう解説してくれたのは、出雲大社・和貴講社講社長の酒井嚴貴さん。彼は出雲大社教の布教師でもあり、その教えを今に伝えているのである。

「最初に『縁結び』を始めたのも出雲大社です。他の神社はその真似をしているんですね。今はどこもかしこも縁結びのようですが……」

縁結びの元祖は出雲大社。そもそも出雲大社の御祭神は大国主大神で、その先祖はスサノオノミコトである。粗暴で荒れすさぶ神。どちらかというと縁を切りまくる印象すらあるのだが、出雲大社はいつの間にか、縁結びの神社として有名になっている。これこそが「イメージ戦略」の成果らしいのだ。