縁結びエピソードが再生産されていく

例えば、こんな話も流布されたという。

石見国の農民、磯七は娘の良縁を願っていた。たまたま出雲大社に出かけて参拝すると、社殿から騒がしい物音が聞こえてきた。人の姿は見えず、「其聲そのこえ尋常の人聲ひとこえにもあらで」(『神恩記』千家尊澄編 1882年 以下同)、磯七が何事かと恐るおそる中をうかがうと、その「數々の問答の中に」、彼の娘が「何がしの妻に結縁定りぬといとあざやかに聞え」た。不思議なこともあるものだなと国に帰ると、その年に本当に娘の縁談が決まる。喜んだ磯七は婿にこの話を伝え、以来、「益々大社を信ずる」ようになりました……。

話し合いの目撃談。当時の錦絵にその様子は描かれている。『出雲国大社八百万神達縁結給図いずものくにおおやしろやおよろずのかみたちえんむすびたまわうのず』などを見てみると、社殿で神々が忙しそうに仕事をしている。

ちょうど役所のように、上座に座る神が御札に名前を書き入れ、別の神がそれに赤い糸を付けて中央に運ぶ。中央では数人の神々が会議を開き、御札と御札を結びつけている。その傍らで別の神が記帳したり、ソロバンを弾いたり。大量の案件を流れ作業のように次々とこなしているのである。

まるで全国ネットの婚活サービス。これを知って「私も申し込んでみたい」と祈願する人が急増したのだろう。実際、これを模した「ゑんむすび」という遊戯が女性たちの間で広まっていた。名前を書き入れた細長い紙をって男女別に束ねる。

神々による婚活サービスが全国区に

その束からおみくじを引くように、つまんで引いて紙を開く。誰と誰が出てくるのか。その「相應或は不相應」(喜田川季莊著『類聚近世風俗志 下』國學院大學出版部 1908年)を話し合って楽しむのである。

出雲の神様ごっこであり、一種の恋占いにもなり、こんな川柳も残っている。

縁結びきれいな貌はまれにくる
(「俳風柳多留」/『川柳集』國民文庫刊行會 1913年)

縁結びでは、きれいな顔はたまにしか当たらない。イケメンを期待するな、という戒めが込められているのだ。

この「ゑんむすび」の発展形か、好きな人の名前を紙に書き、自分の名前を書いた紙と縒り合わせて強引に縁結びさせる方法もあった。人情本などを読むと、恋に落ちた人は必ず紙で縁結びをしていたようで、上手く縒り合わないと思い悩んだりする。