齋藤緑雨の『油地獄』(『緑雨集』春陽堂 1910年 所収)などでは、「いよいよ結ばらぬので、其果そのはては無理に手を添へるやうにして結んで、それで三分ばかり安心して、わづかに眠ることが出來た」というくらい。

縁結びは力を込めた手作業になったのである。幽事は見えないはずだが、それを見えるようにする。出雲の御師たちも幽事の可視化につとめたのかもしれない。ともあれ、彼らの活躍によって「縁結び」は全国的に広がった。それを背景に出雲大社大宮司(第80代出雲国造)の千家尊福たかとみは次のように宣言した。

古來結婚は出雲の大神之を主配し、人の生るゝや已に早く大神は、毎年十月の神集にて諸新の申報を聞し召され、彼是の配偶を定めさせ給ふ
(千家尊福著『出雲大神』大社教本院 1921年)

たわいの無い俗説が人心をつかむ

人は生まれた時から神々が縁結びの話し合いに入っている。少し言いすぎな感じもするのだが、「幽事の統御者たる大神の之を定めさせ給ふは當然の事なりとす」(同前)ときっぱり。当然のこととなれば理由も必要ないわけで、かくして出雲大社は縁結びの聖地となった。「縁結び」の流布によって出雲大社は人気の神社になったのだ。

参考までに、これを激しく非難していたのは民俗学者の柳田國男である。そもそも彼は出雲に神が集うということ自体、「誠にたわいの無い俗説であつて、論破するまでも無く之を信ずる者はゐない」(柳田國男著『祭日考』小山書店 1946年 以下同)と糾弾し、「自分も信ぜぬことを人に説くのは不道徳である」とまで切り捨てていた。

しかし考えてみれば由緒より「たわいの無い俗説」のほうが、人心をつかむ。柳田國男は出雲大社に「其由来を尋討するがよい」と忠告しているのだが、もともと由来はどこもよくわからないので、言ったほうが勝ち。

現に出雲大社は由来の内実より、縁結びの神社として知られるようになり、人々が縁結びの祈願にやってきて、本当に縁結びの神社として繁盛した。信仰というよりビジネスではないかと批判されそうだが、信仰はビジネスライクなのである。